田口線を訪ねる旅もいよいよ設楽町に入りました。20代後半から30代前半を設楽で過ごした私にとっては特別な感慨のある土地です。
田峯駅
県道をしばらく行くと、愛知県で一番長いトンネル、稲目トンネルに入る。1440メートルというこのトンネルは、田口線の中でも最も長いトンネルであり、廃線になってもしばらくの間はバス専用として利用されていたようだ。
トンネルを抜けると設楽町になる。設楽町最初の駅、田峯駅は現在のバス停の近くにあったようだ。現在は民家になっていて、当時の面影はないが、少し高いところに上ってこのあたりを見渡すと、なるほど、駅跡の様相を呈している。
田峯観音のお祭りの時にはここまで臨時列車が走っていたという。
田峯の集落に上がっていく道の横にあるトンネルは段戸山からの材木を運ぶ軌道鉄道のもの。段戸国有林(戦前は段戸御料林)からトロッコで駅まで木材を運んできたという。田口線設立の第一の目的はこの段戸山よりの材木の運搬である。その意味ではこの駅は田口線のメインだったわけだ。
このあたりが田峯駅跡
トロッコで運んできた木材は現在保育園の駐車場になっているところにおろし、貨物列車に積んだようである。現時の保育園、駐在所は材木置き場であったという。トロッコを走らせた軌道鉄道は田口線の半分くらいの幅しかないらしく、レールの一部が残っているが、なるほど小さなものである。
昔は山の男たちが働いていたこの場所は、今、保育園の園児たちが植えたらしい花壇になっている。
田口線の思い出
(生徒の保護者アンケートより)
豊橋方面よりくると、夏など本長篠駅で汗だくだった体も、大草、鳳来寺まで来ると体の汗も引き、涼しくなりました。山や川など、特に秋の車窓にうつる風景は美しく、目を楽しませてくれました。
全線開通当時は客も少なく、営業成績もよくなかったようです。
戦争の頃、出征兵士を送るたびに鳳来寺、田峯観音などに村の人々が武運長久を祈願しました。また、軍需工場へ通う人も多く、鉄道職員は若者不足のため女子職員が多くなりました。
田口鉄道では、戦災にあったものはありませんでしたが、トロリー線など物不足で痛みもひどかったようです。
戦後、若者たちが復員し、物資もできて電車も電車も4両、5両で運転しました。夏休みなどの鳳来寺山へのお客は多かったようです。しかし、自動車などの発達により客も少なくなり、段戸から出てくる木材も少なくなったので、廃線に踏み切りました。
新設当時、機関車は9万円、電車は6万円でした。
(当時60代 男性)
追記
田峯観音と田峯城
田峯の町は田峯駅からかなり標高の高いところにあります。山道を登っていくと急に開けた場所に出ます。田峯集落は古くから田峯観音で有名です。2月1日には国の重要無形文化財にも指定されている田峯田楽もあります。
また、この地は戦国時代、山家三方衆として奥三河を統治していた菅沼氏の居城でもありました。
今は戦国時代の山城として復元されていますが、私たちが取材に行ったときは櫓があるだけでした。
ここからの展望は絶景で、奥三河の美しさを堪能できます。
なお、田口線とは別に私が田口高校に勤務していたとき、創立50周年記念事業として全校生徒が奥三河50の山に登るという企画がありました。
私は生徒たちとこの田峯城まで上った(といっても集落までは車で来ました)思い出の地でもあります。