田口線を訪ねる旅 今回は三河大石駅です。
三河大石のあたりは私が田口高校に勤務していた頃から大きく変わりました。
コンビニができ、老人ホームができ、やまびこの丘にはわかしゃち国体を機に登山(ロッククライミング)用の大きなモニュメントもできました。
しかし、棚山をはじめとした山々の景色、県道沿いにあるおいしいたこ焼きやはまだ健在です。
開けた土地の両側に見える山々、田口線跡を県道沿いに訪ねる旅の中では絶景といえるかもしれません。
三河大石駅
玖老勢駅からしばらく行くと、県道に合流する。そこから田口線は、今の県道を走る事になる。左手に学童農園やまびこの丘を見て、しばらく行くと右手に大きな岩石がある。この石のところは現在でも十字路になっているが、当時はここに踏切があり、踏切小屋があって係の人が動かしているという。
しばらく行くと大石バス停がある。ここが三河大石停留所の跡である。当時の建物は、現在でもバス停の小屋として使われている。何十年もの風雪に耐え、使用されているのには驚いた。
ここでは近くで柿を売っている農家の人に話を聞いた。当時の線路は今より1メートルほど低いところを走っており、県道にするために埋め立てたという。なるほど、プラットホームの高さだけ埋め立てたわけだ。
この駅は地元の人以外あまり利用はなかったが、山上の寝観音への参詣客も時々は利用していたという。寝観音というのがどんな観音様なのか、少し興味があったが、山の中にあるというので行くのはやめた。
大石の名前の由来になった石は、石の横にある説明書によると裏の山から転げ落ちてきたようで、2メートルを超える大きさである。
田口線の思い出
(生徒保護者のアンケートより)
当時は今ほど植林されていなく、春は若葉、秋は紅葉が美しかった事を覚えています。
開線当時は途中の駅で乗ると座席に座れないほどの乗客でした。また、戦時中は出征兵士を手旗を振って見送った事を覚えています。
(当時60代 男性)
子どもの頃、おばあさんに連れられて鳳来寺のお祭りに行き、小学校の頃海老駅で兵隊を送った事を覚えています。
当時は鳳来寺や清崎は保育園がなく、海老の保育園に通っていました。そのため保育園児専用の電車がありました。
夏、電車の窓を開けて稲目トンネルを通るときにはとても涼しかったです。
(当時60代 男性)
小学校等の修学旅行には当時は田口駅から電車で出発し、高い線路や稲目トンネルが長かった事が思い出せます。
段戸国有林(当時は御料林と呼ばれた)より出た木材を搬出するためにできた鉄道といわれ、太い材木が貯木場に積まれていました。
出征時には田口駅より見送っていたときもあり、田口の町より路線バスが通っていましたが、ガソリン節約でバスも止まり、乗客は坂道を歩いて通りました。
(当時70代 女性)
昔津具のスケート場(現在はグリーンパーク)が賑わっていて、田口駅にはバスに乗りきれない人で一杯でした。人いきれで窓ガラスが曇って外が見えないくらいでした。
(当時40代 男性)
大石駅今昔
田口線当時の大石駅と道路整備され、リニューアルされた現在の大石駅です。取材当時の上の写真と比べてみてください。
田口線当時 (撮影者不明)
学童農園やまびこの丘と棚山