今日は1学期の終業式。
ついこの前まで長袖だったのに、いつの間にかクーラーの効いた部屋でないと我慢ができなくなるようになりました。
この時期、目が覚めて真っ先に聞こえるものは蝉の鳴き声。
このセミ、不思議なことにある日を境に一斉に合唱し出すようになります。
一斉に成虫になるわけではないだろうに、不思議なことです。
というわけで、今日はセミについて。
といっても相変わらず、アカデミックなことではなく(そういうものは事典かwikkipediaをおたずねください)私のセミ体験ですが。
私が生まれ育った愛知県、東三河の先端、渥美半島で一番たくさん見られるのはクマゼミです。
クマゼミはその名の通り体の色が黒く、ほかのセミより一回り大きいセミです。
鳴き声はシャーシャーというとてもうるさいもので、その声を聞くだけであつくなってしまいます。
男の子の常として、私も子供の頃の夏休みといったらセミ取りでした。クマゼミは大きいこともあってよく目立ちます。多いときには一本の木に10匹以上も止まってることもありました。
このクマゼミ、私の子供の頃は私たちが住んでいた渥美半島が北限といわれていましたが、いまは関東地方でも捕まえられるとか。温暖化の一つの表れですね。
クマゼミとともに多かったのがアブラゼミ。こちらは羽が黒く、クマゼミより一回り小さいセミです。
全国的にはこちらの方が多いようですが、私の周りではクマゼミとの対比は約5:1くらいで、アブラゼミを捕まえるとちょっとうれしい気持ちになりました。
セミ、といったら鳴き声はミーンミーン、というもの、と相場が決まっているようですが、その名を持っているミンミンゼミは私の周りには全くいませんでした。渥美半島でミンミンゼミが見られたのは伊良湖岬。
恋路が浜、椰子の実、潮騒、灯台、と観光地である伊良湖岬は渥美半島の先端。海を望んで骨山という小高い山があります。その骨山は伊良湖灯台に行く(当時)唯一のルートでした。その山道を歩くと、ミンミンゼミの声がこだましています。
私の実家から約10キロ離れた伊良湖岬は子供にはおいそれといけるところではなく、ミンミンゼミの鳴き声は潮騒の音や香りとともに私のイメージにはあります。
ほかにも一回り小さいニイニイゼミやカナカナゼミ、ツクツクボウシなど、鳴き声を聞くだけで種類がわかるセミがたくさんいます。
日本は虫に関する語彙が豊富です。セミは英語でCicadaといいますが、そもそもヨーロッパの大半の国にはセミがいません。南仏プロヴァンス地方まで行かないといないとか。「ありとキリギリス」も元々は「ありとセミ」だったものが、セミというものがいない地方では何のことかわからないためキリギリスに変わったとか。
そんな欧米人にとって蝉の鳴き声は騒音にしか聞こえないようです。秋の虫もそうですが、夏の蝉の鳴き声を一種の音楽と考えるのはひょっとしたら日本人だけなのかもしれません。
そんな蝉の鳴き声の中でもっとももの悲しく、夏の終わりを感じさせるのがヒグラシ。
ほの国東三河は南は先ほどから述べている、太平洋と三河湾を望む渥美半島。北はアルプス山脈の流れをくむ奥三河。とかなり気候風土が違います。
渥美半島ではほとんど聞くことができなかったヒグラシが、奥三河・設楽では普通に聞くことができます。
設楽の学校に新任として赴任し、カナカナともの悲しい声を聞いたとき、はじめは何の音かわかりませんでした。これがヒグラシだと聞いたとき、なんと寂しい鳴き声だ、としみじみと感じてしまったのを覚えています。
山の方ではこのヒグラシ、もう今頃から鳴き始めています。先日も卒業生からヒグラシの鳴き声が聞こえる、と連絡がありました。
蝉の鳴き声を聞くとそれだけで汗が出てくる、暑苦しい感じがしますが、同時にかき氷やひまわり、海辺、キャンプ、といった夏の風物詩に蝉の鳴き声がなかったら物足りないものに感じることは違いありません。
物事のほんの少しの違いを感じ、それを楽しむ、日本人の繊細な感情がこのセミに対する感覚に感じられる、といったら大げさでしょうか。
先日、アブラゼミの羽を曳いているありを見かけました。
ありの体の何十倍もある羽を曳いている姿を見て
ありが ちょうのはねを ひいている
ああ
ヨットのようだ
という三好達治の「土」という詩を思い出してしまいました。残念ながらヨットには全く見えませんでしたが。
カブトムシやクワガタムシたちもいいけれども、やはり夏の虫の代表はセミにつきる、と思います。
写真はネットで適当に見つけたものです。もし不都合な方がおられましたら、お知らせください。