KANさん | らららん♪な お年頃 ☆彡

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大好きなスターダスト☆レビューのこと

日々の出来事や思ったことなど

のほほ~んと書いています(*^_^*)。

いつの間にかKANさんキラキラは、

私の中でとても大きな存在キラキラになっていました。

 

たくさん泣きました。

 

だけど、ネットニュースやSNS見ていて、

これは現実の世界なのかな?

って、まだ思ったりもします。

 

訃報を聞いてから一週間後、

スタレビ星の岡山ライブ音譜に行きました。

 

スタレビ星のライブ音譜なのに、

1曲目から立ち上がってノリノリの曲なのに、

KANさんが思い浮かんでは涙が流れてくる。

 

『木蘭の涙』の演奏後、

要さんが「KANちゃん・・」と発した途端、

堪えていた涙が滝のように流れ出し、

同時に鼻水も滝のように流れ出した。

マスクの下はすごいことになってたあせる

(泣いてるって思われたくなくて、しばらく放置してた)

マスクしていて本当によかったって思った。

 

一週間後

スタレビの京都ライブ音譜に行った。

少しずつ気持ちも落ち着いてきてるかなって思ったけど、

要さんの「KANちゃん・・」で、やっぱりまだダメだ。

京都では、KANさんと作った『セガホ』も演奏された。

堪らないさ・・

 

 

気づかないうちに、驚くくらいに、

自分の中にKANさんキラキラが大きくなっていた。

 

毎日KANさんのことを考えてる。

これはもう、

東京まて行ってこよう!と思った。

 

まだKANさんキラキラの気配が東京に残っている間に、

東京に行ってこようと思った。

 

KANさんが通われていた銀座の洋食屋さんで

KANさんの追悼メニューを出されていると知った。

 

東京にいる次女女の子に話したら、自分も一緒に行くとのこと。

次女とは、大極殿ライブ、風ハミ、SSK、SSKBと、一緒にたくさんライブに行ったもんな。

 

 

東京に行ったとき、銀座を歩くといつも、

「KANちゃん歩いてないかなぁ」

って言ってたよね。

なんて、お喋りしながらお店まで行きました。

 

SSKBのトークイベントで行った山野楽器の前も通りました。

イベント終了後、要さんや他のメンバーのみなさんは、入り口前でお迎えの車に乗り込んで行かれたけど、KANさんは自分でキャリーケースをひきながら駐車場かどこかへ、一人で歩いて行かれたのが印象的だった。

 

 

「銀座スイス」さん

KANさんが好きだった

カニクリームコロッケとエビフライの付いたカレー

一緒に飲んでらしたというライムサイダーも

 

コロッケにはKANさんのサイン入りの旗が立っていました。

 

食事が終わって会計の後、

お店の方が

「KANさんのファンの方ですか?」

と声を掛けてくださった。

それ以上会話を続けると涙が出そうだったので、

「はい」とだけ、うつむき答えて帰ろうとしたら、

「(私が)座っていた席に、KANさんはよく座られてたんですよ。」

と教えてくださいました。

(カウンターの端の席でした。)

 胸がきゅーっとなりました。

 


銀座から中目黒に向かいました。

KANさんが、美味しいからと要さんたちにも勧めておられたポップコーン屋さんへ。

 

 

 近くにある朝日橋までも行ってきました。

この辺りで生活されてたことがあったのかな。

この辺りを歩いておられたのかな。

なんて、周辺の空気を感じながら、ゆっくり歩きました。

 

 

中目黒の次は自由が丘へ

KANさんがブログなんかで紹介してくれていた

パイのお店へ行きました。

 

自由が丘を歩いていると、

田園調布駅行きバス🚌と何台もすれ違った。

この辺りも生活圏内だったのでしょうね。

 

東京でKANさんキラキラをたくさん感じてきました。

 

気持ちが少しおさまるかも、と思ったりもした。

何か変わったのかはわからないけど、思い切って行ってきてよかった。

 

 


車の中ではまだKANさんのCDCDは流せない。

ラジオから流れてくるKANさんの曲を聴くと、まだ涙が溢れてくる。

 

 

KANさんの奥様がおっしゃたという

「お預かりしていた星の王子様は、違う星に旅立ちました。」

というお言葉キラキラ

 

なんて素敵な表現なんだろうキラキラ

と思うと同時に、このお言葉が気持ちを癒してくれる。

 

そういうことなんだ・・ と思うことにしようと思う。

 

 

 

最後に行ったKANさんの単独ライブ音譜

去年10月のバンドライブツアーの福岡公演音譜

B列のチケットを持って会場に入ったら、A列がなかった。

最前列だった。

端っこだったから、横顔を見てる感じだったけど

こちらに顔を向けてくれたときもあった。

視線目が合って(思い込みかもだけどあせる

微笑んだら微笑み返してくれた(思い込みかもだけどあせる

そのときの笑顔を何度も思い出しては脳裏に焼き付けている。

 

今年の2月には

富山のオーバードホールで開催された

オーケストラアンサンブル金沢との『SYMPHONIC WAVE 2023』音譜

に出演されたのを観に行きました。

音譜『愛は勝つ』

音譜『世界でいちばん好きな人』

 

『愛は勝つ』では、終わったと思わせて・・

からのズッコケで、いつものように爆笑させ、

MCでも、いつものクスクス笑いをとり、

もちろん演奏は感動的でキラキラ

だけど、あのときにはもう、KANさんはいろんな覚悟の中でやっておられたんだ。

本当にすごい人キラキラだと思う。

 

 

KANさんのことは、

スタレビ星と共演されたことで知っていった。

 

KANさんと一緒にいるときの要さんが一番好きで、

『KANと要のWabi-Sabiナイト』が大好きだった。

 

ライブやラジオでKANさんの曲を聴いたり、人柄を知るようになって、

次第にKANさんに惹かれていった。

KANさんの単独ライブ音譜にも行くようになって、

弾き語り、カルテット、バンドライブと楽しませてもらった。

どのライブも素晴らしかったけど、中でも弾き語りライブ音譜が一番好きだった。

自分が思うKANさんを、一番ダイレクトに感じられる気がしていたのかもしれない。

 

 

そして、

KANさんのブログ

『かわいいブログ』 が大好きだった。

 

Wabi-Sabi の収録日には

「今日は要さんとのおしゃべりdayです星

って書かれてあって、

お二人一緒なんだって、毎回きゅんってなってたな。

 

数年前にTwitterをはじめるタイミングで

『かわいいブログ』は終わってしまって、すごく寂しかったけど、

それまで、

どんなときでも毎日更新されていて、

どんなときでも『かわいいブログ』を訪ねては、

ほっとして

安心、癒しをもらっていた。パンダ

 

KANさんの「優しさ」の後ろにある「強さ」を感じていたからだと思う。

 

KANさんの葬儀がカトリックだったと聞いて、KANさんのいろんなことに納得させられました。

そういえば子どもの頃、教会に通っていたというお話をされていましたね。

 

KANさんという王子様宝石紫がこの星星にいる間に出会えたことに感謝しますキラキラ

 

 

KANさん手書きのカルテットの楽譜を眺めています。

はしり書きのタイトルだとかが愛おしいです。

ピアノの楽譜は表紙が夏目漱石(夏目漱石を模したKANさんって言わなきゃですね)

 

『きむらの和歌詞』は買ってなかったんだよねあせる

やっぱり欲しかったなって今ごろになって探してみたけど、

どこも売り切れ。

何度もア〇ゾンを覗いていたら、在庫ありになったときがあって購入できました。届くのはクリスマスくらいのようです。

 

 

とりとめもなく書いてみたけど、

こうして文字にしていくうちに、不思議と気持ちが落ち着いてきました。

 

まだ、現実なのか?って思う感じもあるんだけど

KANさん、ほんとに本当にありがとうございました。