大事な点を押さえて聞く

一年生の「聞く」目標。
一年生に限らず、何年生でも、大人でもそうでしょう。
というか、
大人こそ、大事な点を忘れている。
いろんな感情(競争心や嫉妬)、こだわりがあるから。
頭がかたい。離れない。

だから、論点がずれる。
枝葉をつついて、つついて、
揚げ足とりになる。
これの大事な点はどこ?
ポイントは??

どうでもいいやん~!そんなこと。
一時間も話し合う…
枝葉はいいんだってば!!
論点しぼって、意見を持ってから、話し合おう!

教科学習も、
押さえるべき点がある。
それをおさえなくて、
いくら、面白くしたり、楽しませたりしても
なんにも残らないやん。

本や映画やドラマ、歌も舞台もダンスも、
表現や作品には伝えたいことや見せたいことがあるから
表現する
その伝えたいことをしっかり探して感じとらなきゃ、
重箱のすみをつつくことになる。
作品の読みとりだ。

いい作品ほど、題名に主題がある。
だから、
国語の授業では、
最初に題名を軽く読みとり、
作品をみんな、学び味わいおわったら、
題名に戻り、主題に迫るんだな。なんで、こんな題名なのかな?と。
と、最近、教科指導の意味がわかった~


大人は
感情や自分の考えに固執して
ややこしや~!!
人間らしいけど

とにかく
わたしが
目の前の人の
意図や思いを感じとれるようにならなくちゃ。
自分の感情や考えに固執する相手を思いやるのは、
生命力がいるな。
歩みよるには、苦労する。
ま、これも、人間修行だ。








仕事が残っているから、寝れなくなった。
一時、休憩

ここ最近は、
久しぶりな友だちと会っている。
店でばったり会うこともある。
休日も忙しくて、疲れがひどいから、
自分の時間はのんびり気ままに大事にしてきたが、
海外にいくし、会っておこうと、お食事会やら映画やら…
懐かしい~

新しい校長からも、メールがきた。
一足先に、かの地に行ってます、お待ちしてますと。
あと、今の心境を、だれかの歌の歌詞にのせて、書いていた。
まさしく、同じ心境だ。
話かわかりあえそうで、ちょっとほっとした(^^)
管理職がいかんで、不安もかわるし…

同じものをみていても感じることは様々だけど、
どんなことであれ、
携わる人たちの思いは、感じとれる人でありたいと思う。

校長の立場のしんどさは、
あらゆる言い訳から十分感じた。気持ちは理解したい。
わが立場でものを言うのは簡単だ。
相手の立場を考えることは難しい。
どこへ向いているのか…考える
どっちを向いて、行動しているのか…

授業でも、目標がよくわからない授業は、しんどい。
目的地がない船だから、さまよう。
教師に目標がないと、周りもしんどい。

また、目標が共有化できないのは、もっともしんどい。
人気とりばかりで、会話が、
こどもたちから好かれているかどうかばかりの先生。
正直、めっちゃしんどい。
打ち上げ花火、イベント、遊びばかり打ち上げて、楽しければいい。
自分のクラスだけ、特別扱いの学級王国…
ああ、しんどい。
自分の子は行かせたくない。なにも残らない。育たない…
イベントを通して、何を学ぶか目標がないと、成長しない。
それを、その後、担任すると、
大人の顔色をみて、教師にエンターテイメントを要求し、めんどくさい。
子どもをお客さんにしてしまっている。育つわけない。大人になれない。
学校は子ども自治体なのに、子どもが運営するのに、サービスを求める客ばかりじゃ、
何百人といる学校は次第にメチャメチャになる。

昨日、
一年生にめちゃくちゃ怒った。
牛乳をたくさんこぼした子が一人でふいていたからだ。
横でこぼしているのをみていながら、何ともおもわないのか!?
それが、一年生で習ってきたことか!!
やさしさがない!自分のことしか考えていない。
それが、クラスか!?と。

先生に対する得点稼ぎならやらんでいい。
ロボットを作るつもりもない。
でも、困っている人をみて、何とも思わない、その心が許せない。
余裕のなさの現れだ。

参観前だから、落ち着かないからだろう、そういうことにしておくわ、といった。

しばらくすると、
また、牛乳をこぼした子がいた。
ガタガタと立って、雑巾を持ってドドッと駆けつける子たち。
あまりの急変に、苦笑した。
こぼした子は心から「ありがとう」が言える。
「ありがとう」がたくさん言えるクラスはすてきなクラスだ。落ち着く。
いまは、先生の顔色をみても、その気付きがあればいい。
また、次に何かあれば、数人は思い出すだろう。繰り返すうちに、
成長がある。

教育ってこんな日常にある。
打ち上げイベントにあるのではない。

食器の片付け方を忘れている…と嘆く先生。
え、そんなこと、どうでもいいやん、先生がやれば。じきにやるよ。
そんな枝葉を徹底しても、心は育たんよ…と思う。

授業でも、
え、作者の伝えたいことはこっちやろう!?
とか、
この単元は、この力をつけるためやろう!?
ということがある。
目的地や目標がぶれていると、どこへもたどり着けない。

わたしたち教師が、もっと勉強しなくちゃいけないと思う。
つくづく…

昨日、
最後の参観。
学習発表会。

私は、こどもたちのがんばる姿に感動した。
いっしょうけんめいな姿に、けなげな心を感じとると、
涙が出そうで、こらえるのに必死だった。
もう、お別れだな~とも。

保護者からも、
先生~、感動した、泣きそうになった(>_<)、
一年生でも、こんな発表するんですね、3年からだと思いました、とか。
涙目で語ってくれるおうちのかたもいた。
学級閉鎖二回の間、
お風呂で一人発表会をしている子もいたそうな。
おうちで誉めてあげてくださいと話した。

一週間も休んだので、
練習も台詞や、段取りや出入りの把握、振り付けなどで、
歌の指導は、歌詞を覚えること、大きな口で歌うぐらいだった。
発声法なんて指導できる暇もない。各クラスでやるだけだ。
休み時間も楽器や披露する技の練習をしていた。

発表会が終わって、感動したという保護者の声を
学年で共有しようと思ったが、
それぞれ、思いはちがうらしい…

歌の発声が、音楽の○○先生の時はきれいに歌えていたのに…と。
私が指導したから、歌があかんと言わんばかり…
はあ、これだよな、達成感もない、バラバラ…
まあ、私は未熟やからね。ほかが指導すればよかったんや。
しかし、
一年生にきれいな天使の声を求めてどうするんや
それを求める指導時間もなかったやろう…

あの子達のいっしょうけんめいな歌声に何とも思わないのかな。
一部、音程がすこしずれていようが、
あのけなげな心や、みんなで心をあわせてがんばる心が
歌を通して伝わってきたら十分やろう~表現なんやし。
ぐっと我慢して、にこやかに、保護者は喜んでいたを強調した。

あかんところを一つ一つあげたら、きりがない。
まだ、一年生だし。
でも、
全体を通して、がんばったんだから、それをなんで共有できないんやろう
何を伝える場だったのか、目標からバラバラだった。

こどもたちには、プロじゃないんだから、減点法はやめてくれ。
加点法でいかないと、かわいそう。
まあ、私の指導に対して、減点なんやろうけど。
減点ばかり突きつけられる仕事もつらいもんだ。
私自身の次の課題だから、あと、1カ月で何をするかだ。

観客のお母さんたちが、
成長を感じとり、感動してくれたんだから、
気持ちは伝わっているんだから、ま、いいか~
毎日会う同僚より、二月に一度しか会わない保護者と心が通じるなんて…
手紙や子どもを通して通じているからかな。
この仕事ならでは、だ。

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みてろ~!