脳出血の後遺症である右半身のしびれ。こいつと付き合って1年半以上が過ぎました。
自分がひたすら夢を追いかけてバンド活動をしていた時代にこうなっていたら、ひょっとして本当に自ら命を経つほどに、気が狂っていたかもしれないなと思うことがある。
しびれが残る右手、ベースの演奏は辛うじてできるようになってきたけども、ギターのように複数の弦を同時に鳴らさなければならない楽器は、現状まだまだ難しい。
というか、本当は何となくわかってるんですよ。もう完全に元通りにすることは無理だろうって。リハビリをやってみて、リハビリとは治すものではなく慣れさせるための訓練だということや、しびれや痛みが退院後に増すというケースもよくあるということは、実際に経験してみてよくわかりました。
そしてそれと同時に、自分にとっての音楽とは何だったのか、ということについて初めて気づいたことがありました。
電車やバスの中で聴くために、スマホの中には30曲以上の曲が入っています。その中で、へヴィメタル/ハードロックと呼べるのは半分未満。自分がバンド活動の中で目指してきたジャンルなのに、これはどういうことなのか。
こんなことを深く考えたことなんて今までなかったんですが、振り返ってみればこれは今に始まったことでもなく。例えば中学の頃、実家の自分の部屋で聴いていたカセットテープも、ロック以外のジャンルのものがかなりありました。J-POPばかりでなく、演歌やゲームミュージックに至るまで多種多様な音楽を聴いていました。
当時はこれらについて、いや、つい最近まで、「音楽は何でも聴きます」という言葉で片付けていました。でも、これにはちゃんとした定義があったのです。すなわちそれが、聴きたい音楽、演りたい音楽の違い、ということだった。
病気を発症し、ギターが満足に弾けなくなったことをきっかけに、ギターでプロになる、という目標が完全に潰えた。そういう自分を取り巻く変化が、自分でも全く気づかなかったことに気づかせたのかもしれません。
自分の中で、HM/HRに対して、聴く度に感じていたドキドキ感、聴いただけでギターの指板が脳裏に浮かび、どう押さえればキレイに弾けるか、といった探究心。こういうものが、気持ちの中でみるみるうちに萎えていくのが、自分でよくわかりました。
おめでたい発想というのはよくわかってはいますが、病気の前までは、ひょっとしたら今でも、今からでもデビューできるかもしれない、憧れのギタリスト達に追いつくことができるかもしれない、などと心のどこかで思っていたのだと思います。
しかし病気によって、それが現実世界だけでなく、夢の中でも諦めざるを得なくなった。自分の中で、演りたい音楽が消えた瞬間だったのです。
ただ、自分の中で少し気が楽になったところはあります。ああ、もうこれで俺は見えない重圧から解放されたんだって。
ロックギターを弾く人達は、プロ、アマ問わずそのほとんどが、「◯◯に憧れてギターを始めた」という人だと思う。ところが、僕の場合は少し違いました。
若気のいたりで髪を金色に染めた中学生の頃、たまたま行った近所のレコード店に貼ってあったC-C-Bのポスター。僕の目に飛び込んできたのは、髪を自分と同じ色に染めたC-C-Bのリーダー、故・渡辺英樹氏でした。
金髪でベースを持つ彼の姿にインスピレーションが閃き(その時はベースとギターの違いなどまだまだわからなかった)、金髪とギター=かっこいいという構図が出来上がっていきました。
つまり、金髪にはギターだ、という個人主観だけでギターを始め、その過程の中でへヴィメタル、ハードロックというジャンルに出会った。普通と逆のプロセスでロックに目覚めたがゆえに、聴く音楽と演りたい音楽が分離した状態が出来上がったのかもしれません。
自分が今のような状態になり、純粋にライブではじけたりCDをかけたりして楽しむことができる人達、純粋なファンでいられる人達が本当に羨ましく、自分もそうありたいと何度も願い、何度もその境地になれるよう努力しようとしました。
でも、元来そんなことは、努力して変えるというものではない。そのアーティストを愛するが故に自然とそうなっていくものだと思います。
僕の場合、ギターを弾いてこういうミュージシャンになりたい、という理想像が先行していたから、楽曲を分析的に聴くことは多かったが、曲そのものを腰を据えて聴く、ということが少なかった。
ライブ会場などで、物理的な共有スペースはあっても、精神的な居場所はない。それが今までの僕のライブ観覧のスタイルでした。
自分のペースで、自分の好きなように見る。あるいは行く気が起きないなら無理に行かなくたっていい。僕だけがそうなのではなく、これが本来の、当たり前の姿のはず。今一度、そこに立ち返っていきたいと思っています。