毎日、毎日、朝から情報番組はコロナの話題で僕も今朝の状況を確認して、政府の優柔不断さや、ヒステリックにに叫ぶ番組のMCやゲストのコメンテーターの意見など不毛の意見の応酬にへきへきしています。

40年くらい前の角川映画「復活の日」を思い出して、途中までみたところです。

もともと小松左京のSF小説で、あのころ僕は日本SFのにはまっていた時期で、映画化されるとすぐに観に行ったことを憶えている。

兵器として、開発されたウィルスが争奪戦のなか事故のため世界中に広まり南極に居た八百数十名を残して、人も動物も滅びてしまうなか、如何にして生き残っていくかというお話で、この小説読んだころのスケールの大きさに、感動したものだが、映画化された作品を見ると、そのスケールを表現するには、当時の映像技術では表現が難しかったことがうかがえた。

しかし、ウィルス蔓延を止めるために行う行動や世界に与える経済の問題などを考えると、小説の世界より現実の複雑さを痛感させられます。

すべての、活動はいかに多くの業種と密接な関係があるので、一つの経済活動を止めようとしても、すべてが繋がっていて世間の仕組みが止まってしまう。

製造―流通―サービスなどの流れの一か所だけを止めることはどこかに歪を生んでしまう。

じゃあ、どうすればこのウィルス騒動を鎮静化できるか?

今、言われている人との接触を80%減らすことができるか?

きっと、それを実現するためには、ほとんどの人が100%人と接触しない必要があるのではないか?

それには、会社に出ない、交通機関を止める、店を閉める。そして家に籠っていることが必要ではないのかな?

しかし、発熱した人や、すでに基礎疾患をもっているひとは診察や療養が必要ですから、医者や看護師と接触が必要です。

これが残り20%なのかもしれない。

連日、テレビに出ている岡田晴恵さんがいっていましたが、このままだとすべての人が感染して抗体を持つか、ワクチンができるまで、広がり続けるのではないかと思います。

やっぱり、インフィニティストーンを誰かが集めて指を鳴らしたんじゃないの。

ポール牧ではないと思う。