昨日、午前10時半から午後3時まで・・・僕がブログを初めてきっかけのシゲちゃんこと、重ちゃんが、やってきてくれました。
2012年からの友人です。
僕の病気が判明して(2009)約5年間は、ずっと落ち込んで、深海1万メートルに沈んでいたとき、『ラフフラ日記」という病気ブログを読んで、この世界に浮上する決心がつjきました。
そして、その本の著者である、やまざきたけしさんにメールして、僕と同じ石川県の同病のシゲちゃんを教えてもらい、付き合いがはじまりました。
あれから、7年 その頃の僕は体幹もまだあり、一人で歩けました。
症状は、足の痺れ感と、複視に悩んでいたぐらいです。
シゲちゃんはそのころ、歩行器を使って外出もし、僕に歌の教室に誘われそれ以来、通っています。
そのお陰もあり、構音障害もなく、まだ人との会話には不自由していません。
その頃のシゲちゃんは僕の家のポーチの階段も、何とか登れました。
今では、僕は歩行器と車椅子、介護ベッド、家中の手摺が必需品になりました。
シゲちゃんは、完全車椅子生活で、トイレ介助や刻み食が必要になりました。
8か月ぶりの再会でした。
縁側で家の「足立美術館??」が眺められる、縁側を締め切り、部屋を暖かくしました。
シゲちゃんの奥様と、うちの女房、娘の3人で我が城に入りました。
入城早々、シゲちゃんのマシンガントークが始まり、いくつかのお願いを受けました。
ただ、構音障害のあるシゲちゃんの言いたいことを正確に聞き取れなかったかもそれません。
でも、ラ年の夏くらいまでに、SCD友の会から会報を出したいという事は、僕の使命だと受け止めました。
今、書いている文を会報に載せようと思います。
昼の30分くらい前から、僕の料理を御馳走しようと、準備にかかりました。
御馳走と言っても、塩味のラーメンとガーリックバターライスです。
シナチクも蒲鉾も、チャーシューもゆで卵も誤嚥しないように、細かく刻みました。
その前に、暖めた焼酎でカンパイしました。
女房によると、僕の顔が赤くなったのを初めて見たそうです。
驚いたことに、僕が用意したお昼を、美味しい、美味しいと完食し、ストローでラーメンのスープを飲み干したことです。
僕でも、お腹がいっぱいになったほどです。
食後にはどら焼きも全部、食べてくれました。
食後にまた縁側で、演歌を聞きながら、3時頃のお迎えまで、話ました。
帰りに、奥様から、群馬県のねぎを頂きました。
チョット前にテレビで、宮川大輔が「うまーい」と絶叫していた下仁田ねぎです。
火を通すと、甘くて美味しさが半端ないらしい。
夜、仏教讃歌の練習にいって、ギンナン、柚子を頂いて帰ってきました、
柚子の皮を浮かせた味噌汁は僕の大好物です。
ギンナンは茶封筒に入れて、電子レンジで爆発させれば、酒の肴に最適です。
夕食が楽しみです。