先週まで、モノグサな父は、歩くのが面倒で、日中でも、紙パンツの中で、用をたし、ベッドの周りに必要なものを、置いて(電話話、各種リモコン、ラジオ、喫煙道具)、カーテンを開けるためや、ストーブのスイッチを押すための棒)これは、先日僕にリモコンで入り切りできる石油ストーブを探させ、僕は何カ所も電話をかけて、調べた経緯は皆さんも知っていると思います。
希望するものが無いことがわかり、諦め、その代わり、火事が心配になるくらい、近くまで自分の近くに置いている、
いかにして、バッドの中で全ての用が済ませるかにこだわっていた。
動かないと出来ないことは、ナース・コールをする。
一度押すとピーピーとうるさく、我々家族(部屋が101と102で近い自分にすれば、恐怖のナースコールで用をいいつけられる。
その結果、骨と皮になった足は歩くことをわすれてしまった。
足腰の衰えに、それではいけないと思ったのでしょう。
最近は、歩いてトイレにいくようになった。
そうすると、紙パンツやパットを替えることが少なくなり、体から発する、小便臭も弱くなった。
すこし、楽になった。
これまで、朝の忙しい時間に、トイレ介助を中心に父に時間がとられるので、父の介助と朝ごはんの用意は、女房と分担でこなす。
このおやじ息子の病気のこと、体が自由に動かないこと、微妙な動きが出来ないことなど、脊髄小脳変性症に理解が無いことなどお構いなしです。
僕の病気を理解していないのです。
ちょっと、歩きにくいという程度にしか思っていないようです。
僕は、これもリハビリだと思って、文句も言わず、言うことを聞いています。
寝たきりが多いので、布団のなかで「良からぬ」、と言うか色々「へたな」考えを思いつき、用をよくいいつけます。
他人の方がよっぽど、優しさを感じます。
今日の午前中は、大工仕事で忙殺された。
鋸や、金槌、キリ、釘などを使って、ベッド周りの環境整備をしまた。
歳とともに、病的なくらいこだわりが強くになってきた。
ものの配置でも、ちょっとでも斜がっていると気になるようです。
釘と釘の間隔にこだわるので、ミリ単位「でメジャーで計り、押しピンの位置にこだわり何度もやり直しをさせるのです。
僕の、この作業は、父がベッドから一歩出なくていいような手助けをしていることになります。
自分の、首を絞めているようなものです。
きょうは、くたくたで、この書き物中に寝そうです。
ブログに『よだれ』が付いているかもね?
これから、寝るとしよう。