昨日、文化センターの教室の体験をしてきました。

5年前から、童謡・唱歌の教室には、通っています。

今度、体験してきたのは「讃美歌を歌おう」という教室です。

以前には「チャペルで歌おう」という企画があり、何度か参加したことがありました。

ホテルの結婚式場を借りての教会の雰囲気の中で、讃美歌を歌うものでなかなか雰囲気がありました。

立派なパイプオルガンで歌うこの時間は、西洋のキリスト教徒になった気分でした。

西洋の教会、特にヨーロッパの石造りの大聖堂などは、天井も高く、石壁の反響もあり独特の歌声になり、厳かの雰囲気です(実際に歌ったり、聞いたわけではありません。友人の牧師から聞いた話です)。

結婚式場ですから明るくて、そうとは行きませんでしたが、敬虔なキリスト教徒の雰囲気が味わえました。

その会場を借りることが出来なくなって、新聞社の本社ビル内の中で、「讃美歌を歌おう」という教室が新しく出来たようで、指導の先生に誘われ今回は体験ということで参加してきました。

もうひとつの、理由は僕は昭和38年に金沢少年合唱団8期生として入団しウィーン少年合唱団のようなボーイズ・コーラスを目指して歌っていた時期があったのですが、1期生の大先輩が来ているという情報を聞いたので、お会いするのも目的でした。

約1時間半、讃美歌三昧でした。

私の席の後ろにその先輩がいたので、素晴らしい歌声、安定した音程が僕に援護射撃してくれたので、大変歌いやすかった。

50数年前の発表会のプログラムがあったので、持っていきました。

  
 

昭和39年のパンフレットに僕と先輩は写っています。

 

 

       発表会              最上段右から4人目はのちの鹿賀丈史

 

この合唱団の発足は昭和31年で、先輩は一期生で僕は昭和38年の8期生で、先輩は僕が在団してころは、高校生でジュニアは卒業し声変わりの中学時代はお休みし、声が出るようになってシニアとして歌っていたようです。

僕は小学校6年で退団し、その後は合唱の世界から離れてしまい、中学生の頃から歌謡曲や、フォークを歌い、大人になってからはスナックのカラオケで一人、悦に浸っているうちに、10数年前から脊髄小脳変性症を発症してからは歌がうまく歌えなくなってしまいました。

今は、リハビリを兼ねて、歌っていますが、殆ど構音障害もなく、会話は不自由ないのは、このおかげだと思っています。

心は揺れ動きますが、今の気持ちは歩けなくなっても、人の介助を受けても歌い続け、仲間の輪を広げていきたいということです。

きっと、途中でもう、やめようと感じることもあるでしょうが、仲間のおだてに乗って続けていくつもりです。