前回は、学園の周りの憩いの場所の一例を書きました。
まだ、他にも色々なお店がありました。
私が、学園に入ったクラスは、電話班です。
電話班で身に付ける技術は、電話交換機の技術です。
今回は、電話交換の変遷から、プログラム開発について書きます。

昔、電話が外国から入ってきたころはの電話を繋ぐ方法は手動交換といって、電話をかけたい人は、電話機についているハンドルを廻して交換手を呼びます。
ハンドルを廻すことにより、交流の電気が発生し、それが交換手のいる手動交換機に伝わり、電話のかけたい人のジャックの差込口の蓋が外れて、交換手に知らせます。
交換手は蓋の外れた差込口に、ヘッドセット?のジャックを差込み発信者と話をします。
発信者は何処に電話したいかを交換手に伝え、それを聞いた交換手は先方を呼び出して、発信者と着信者をジャックで繋ぐことで、電話を繋いでいた。
それから、自動交換機が出てきて、交換手による手動交換機は必要なくなった。
自動交換機もA型、H型からクロスバーになった。
それらは、付線論理で組み立てられており、全てスイッチや継電器が銅線で繋がれていた。
それから、電子交換機へと変遷し、それも今では、旧式の交換機として生き残っている。
電子交換機は、蓄積プログラム方式と言われ、電話交換の制御をソフトウェアで行うものである。
初めは、100Aと言われ、アセンブラ言語で記述されていた。アセンブルとは、組み立てるという意味だが、組み立てるものという意味であろうか?
メモリと、レジスタ(これもメモリの一種)を使って、プログラムのアドレスを制御してスイッチを制御するもので、機械語のゼロ、イチの世界に近かった。
100Aのアセンブラ言語から100Bにプログラムが変わり、そこで使用される言語がCHILLといわれるより、人間の言葉(英語)に近い言語で、プログラムが書けるようになった。
私が、学園に入った頃はやっと、100B(CHILL)で開発されたプログラムで動く、交換機が出てきたばかりだった。
学園の実習設備には、その最新式の交換機は入っていなかった。
プログラムの学習はCHILLでやり、実際にプログラムを作って、実習するのはアセンブラで行った。
過渡期であり、そのときは始めてのコンピュータプログラミングというものを知ったばかりで、皆目、チンプンカンプンでした。
CobolやForranも何かは知りませんでした。
私の職場ではクロスバー交換機しかありませんでした。
仲間のなかには、電子交換機を保守、運用している局から来ている者もおり、その人達はその環境に近いところにいたので、雰囲気はわかっているので、スタートから違いました。
というわけで、その当時は落ちこぼれていました。

当時、趣味の世界ではZ80を使った、シャープのパーソナルコンピュータが出ていましたが、OA機器にはなるような物ではなく、あくまでも趣味の世界の玩具でした。
会社の中で、OA機器として、使えるものは、1982年10月に発売されたNECのPC-9801が出てからからです。
学園で、ソフトウェア開発の落ちこぼれであった私は、パーソナルコンピュータには興味があり、PC-9801でアセンブラやBASIC、Cなどを勉強した。
Cを習得したことで、現在の仕事に結びついている。

日本ではそれから約15年間、Windowsが出るまで、PC-9801の独壇場で、どの会社でも、PC-9801がOAで使われていました。