昭和56年4月3日は入園日であるが、寮には前日に入寮した。


4人部屋ですが、私の部屋は3人だった。


神奈川のHS(24)、鹿児島のMN(31)と私、石川(27)です。


第一印象は、神奈川のHSは、関東の人間らしく、明るくて、口数も多く、典型的な横浜に代表される神奈川の人っていう感じでした。

実は、HSは群馬出身だったのですが。


もう一人は、鹿児島の鹿屋とは第二次世界大戦 中は特攻隊 の出撃基地となったところだ。

空襲を免れた金沢で生まれ育った自分が、太平洋戦争で日本の象徴的、破滅的戦法である、特攻の象徴である鹿屋出身の人と初めて会った。


当時は戦後36年です。

36年前を、ちょっと前と思うか、昔と感じるかは人それぞれですが、そのときは前の戦争が、近くに感じた。

先手必勝の薩摩示現流や西郷隆盛のことを思い浮かべ、MNを見たが、大人しい、寡黙な人のようだった。


とりあえず、自己紹介後、荷物を解いて、明日の入園式に備え、大人しく2段ベッドに横になった私であった。


しかし、日本中から集まった人たちです、単に自己紹介で終わらず、酒を酌み交わして、お互いを知り合おうという輩もいた。


その日は、夜間外出が禁止になっていたため、正面から出て行くわけにもいかず、柵を乗り越え、側溝を飛び越えなければ、脱出できなかったらしい。


その中に、側溝を飛び越えるのに失敗した者がいた。

泥だらけになり、着ていた制服のポケットは取れてしまうわ。

凄い姿で帰ってきたらしい。


当時、私はそれを知らずに、翌日の入園式に出たのだけれど、いきなり昨日の、事件が明るみに成り

楽しい、学園生活がスタートした。


けいちゃん的な日々