子供の頃(小学4年~6年)少年合唱団に所属していた。

そのときの恩師が亡くなって12年(13回忌)になる。

結構、すごい合唱団で、全国の5本の指に入るくらいだった。

先生は、変声期前の少年の声のすばらしさを表現するため、

一生を捧げた偉大な方だった。


ウィーン少年合唱団を目指していた。

8期生の私が在籍した、1963,4年ごろには、地元でウィーン少年合唱団の公演があり、

我合唱団の代表が、花束贈呈などをした。

それから、彼らの天使の歌声を堪能したのだけれど、今日聞いた話だと

ウィーン少年合唱団は2軍しか海外遠征を、しないそうだ。

1軍はさぞ、凄いのだろう。


そんな先生が、作って活動していた合唱団だから後を引き継ぐことも出来ず、

先生と共に合唱団も消滅してしまった。


今年が先生の13回忌であることを知った、元団員の努力により、

今回、先生を偲ぶ会が開かれた。


ワンマン先生が、一人で運営していたこともあり、名簿も残っておらず、

推定、延べ2000人はいただろう、団員たちとの連絡もままならない中、

地元新聞の協力や、Facebook、個人の友人関係を頼りながらであったが

発足当時の1期生(1956年)から37期生までの58名の元団員が集まった。


会の後半、皆が当時の思い出などを、語った。

一番若い37期生から1期生への順番だったが、創世記の1期生にもなると

老人であることもあり、話が長く、語っているうちに当時を思い出して、涙ぐむ

人達も大勢いた。


アルコールの勢いもあって、

・少年合唱団を復活させよう!とか

・年寄りで合唱活動をしよう、

・バンドをやらないか


など、言い出す人が、結構いた。

老人合唱団や、バンド結成は、好きにやればいいと思うが、

一度、消滅した、少年合唱団の復活は、止めておいた方がよい。

石本先生だから出来た、合唱団です。

私たちの心の中の、すばらしい思い出にとどめておいて


時々、今回のような会を持てばいいと思う。

ただ、先の短い人も多いので、これからも元団員探しをして、

なるべく長く続く会にしたらいいと思う。


    美しく


    一、美しく美しく
      めぐるまどかな
      大空に人の命の
      あこがれが
      泉のように
      ふきあげる

    二、美しく美しく
      かおる地球の
      花園に人の命の
      あこがれが
      百千の花と
      咲きほこる


最後に皆で、この歌を合唱した。

良い思いでが皆に刻み込まれたことでしょう。



けいちゃん的な日々