中学、高校時代、映画が好きで、映画評論家になりたかった。
だから、中2~高2の4年間は年間200本以上の映画(洋画)を観た。
いい映画もつまらないものを知って初めて、良さが解るという理屈で、手当たり次第
お金が出来れば、映画館に行った。
そのころ、1年で公開された洋画は250本くらいだったから、成人向き以外は
殆ど観た年もあった。

小遣いがたくさんもらえる訳も無いので、親から昼食代(パン代)を貰い
お昼を抜いて、お金を作った。
親の財布から千円札を拝借したこともあった。
夏休みは、図書館で勉強するからと言って、毎日昼食代を貰った。
3日我慢すれば、行けたので、2日は昼食抜きで図書館で勉強し、
3日目は、映画館に人生の勉強に行った。
育ち盛りの時期に、お昼を抜いたので、大きくなれなかった。
20代前半の体重は40キロそこそこしかなかった。
身長もそのせいだと思うが、伸びなかった。
小学校1年のときから、一番小さかったので、昼抜きのせいではないかもしれない。
普通、学校の整列で、「前へならえ」は両手を前に伸ばして、前との間隔を取ったもの
ですが、一番小さい私はそのとき、手を前に伸ばさず「気を付け」をしたものです。

中学生の頃は、一人での映画は禁止だった。
高校生の白線の入った帽子を被って、偽装工作していたが、バレバレだったらしく
時々、もぎりのおばさんから「今日は、補導員がいるから気をつけな」
なんて、忠告もあった。

その頃シネコン等はなく、1件の映画館で、1つの映画を上映していた。
封切館でも地方都市なので、入れ替えはなく、一度入れば、何度でも観れた。
大体が2本立てだった。
三番館では、3本立てだった。
小立野にあった、「スタア劇場」はよく洋画3本立てをやっていた。
時々名画もあり「キム・ノヴァック」の”人間の絆”が印象に残っている。

香林坊に映画館が集まった、映画街と言われる場所があって、
パリー菊水、ロマン菊水、金沢プラザ劇場、松竹会館、スカラ座
などがあった。
「スカラ座」は成人向ばかりで、時々”ストリップの実演もやっていた記憶がある。
小学校のころの夏休みの早朝にあった「映画教室」で特撮(ストップモーション)
の巨匠レイ・ハリーハウゼンの「アルゴ探検隊の大冒険」をスカラ座で観た。
なんとなくどきどきした。
DVDで持っています。

橋場には、北国第一劇場、北国シネラマ会館、ムービー菊水
金沢駅周辺ではテアトル会館、駅前シネマ、金沢文化劇場、ロキシー劇場
片町の金沢劇場は、東宝の上映館
寺町にもあったが、名前が出てこない。
小学生の頃「椿三十郎」を観た。
最後の血しぶきが今でも頭に残っている。

上映中、フィルムが切れることがあり、修理中は映画館が真っ暗になることもあった。
今では、デジタル化され、フィルム上映されることは無いらしい。
昔は、映画館の後ろを見ると、上映口からスクリーンに光が伸びており、途中の
空間のホコリがよく見えた。

病気のせいで、スクリーンにピントが合わないので、もう5年以上映画館には行っていない。
もっぱら、レンタルDVDのお世話になっている。

9月14日から1週間「カナザワ映画祭」が旧ロキシー劇場をメインに開かれ
主にフィルム作品が上映されるようだ。

どうやったら、参加できるのだろうか?
なつかしいな。