グラバー園内に西洋料理発祥の碑

      10月19日から22日、3泊4日で長崎、島原、雲仙への旅。

      長崎は一人ブラブラ歩き、翌日島原港で旧友と落ち合い、島原と雲仙の温泉を楽しんできました。

      1昨年の冬、弟たちとハウステンボスと佐世保に行ったのですが、長崎市内は4年ぶりでしょうか。

      その時は軍艦島クルーズとオランダ坂や思案橋界隈を歩いただけ、今回はホテルがグラバー園に近いところだったので、

      グラバー園からが旅のスタートでした。


      長崎空港からリムジンバスを降り、ホテルへ向かう道すがらも坂本龍馬が英イカルス号事件裁判に立ち会ったという「運上所」跡(現在は市民病院)の碑や

      トーマス・グラバーが英国製の蒸気機関車を走らせたという「我が国鉄道発祥の地」の碑があり、のっけから歴史を感じさせます。


      何十年ぶりかのグラバー園。昔いとこがこの近くに住んでいたので何度か来たことがありました。

      スカイロード(斜面を移動するエレベーター)で入口まで登りましたが、坂の上に住む地元の人々の生活手段でもあるようで、

      「これができてから買い物が楽になりました」と言っていました。


          

          

      第2ゲートの入り口から坂を下りて行くと、「旧自由亭」の喫茶室があります。

      その横にあるのが「西洋料理発祥の碑」。

      今月初め「草乃会」での「食文明の衝突」の資料にこの碑の写真がありましたので見たいと思っていました。

      日本の「西洋料理の父」と言われる草野丈吉(1840-1886)が明治11年諏訪神社下に「自由亭」という西洋料理店を開業。
    
      その建物を移築したものです。

      草野丈吉は出島のオランダ商館で西洋料理を学び、その後自宅を改装し「良林亭」という日本で最初の西洋レストランを開きました。

      客の中には五代友厚や小松帯刀、伊藤博文などの志士がいたそうです。

          

          

          

      店内は誰もお客はいなくて、私一人。窓から港の風景を眺めたり、古い調度品に目を奪われたり~。

      コーヒーとカステラで贅沢な時間を過ごしました。


          
          
          旧リンガー住宅 慶応3年(1867)頃に建てられたバンガロー風の建物。
          リンガー(1838-1907)は三階建てのレンガ造り「ナガサキホテル」を開業。
          各部屋に電話や冷蔵庫が設置され当時東洋一壮大なホテルと言われたそうです。

          
          旧オルト住宅 元治元年(1864)頃建てられた石造りの洋館。
          緑に囲まれた美しい建物でした。
          オルト(1840-1908)は長崎から日本茶を世界に広めた人物。
          「イカルス号事件」の際、疑いがかけられた海援隊の無実を訴えるため、岩崎彌太郎と共にイギリス領事館へ赴いたそうです。


          

          

          

       世界遺産に登録された旧グラバー住宅。文久3年(1863)に建てられた現存する日本最古の木造洋風建築。

       外観は日本瓦と土壁、室内は典型的な西洋風の造りで150年前の西洋料理が再現されていました。

       トーマス・グラバー(1838-1911)はスコットランド出身の貿易商人で、明治日本の産業近代化に多大な貢献をした人。

       長州藩の伊藤博文ら5人や薩摩藩の五代友厚ら19名の訪英を手助けしたそうです。

       また、現在のキリンビールの前身「ジャパン・ブルワリー・カンパニー」を設立したことを初めて知りました。

       住宅内には麒麟のモデル彫刻が展示されていました。


          

                  


       東京は大雨だったの長崎は時折薄日が差すお天気が快適でした。。

       港を見下ろす丘に変化に富む石畳の道、やはり長崎は幕末の最先端の街であったと感じつつ歩きました。




       修学旅行生であふれる眼鏡橋と出島

           

           

           

       眼鏡橋は修学旅行生で賑わっていました。

       SNS用の写真撮影か、高校生たちがいろいろなポーズを決めていました。

       石垣にはハート型の石が埋め込まれているので、皆探しているようでしたが上からも見えましたよ。

       沖縄からの中学生グループに遠慮がちに道を訊かれました。

       「ここに行きたいのですが、どう行けばいいですか」と地図を広げながら。

       私が降りた賑橋電停だったので教えられましたが、素朴で可愛い子どもたちでした。


           

           

       眼鏡橋奥の橋の欄干や擬宝珠(ぎぼし)に白や朱色のひも状に巻かれたものがあったので、「何だろう」と思い、近くの店のおじさんに訊ねると

       「アートプロジェクトとかいったかな、橋に芸術家がやったの。さすがに眼鏡橋は遠慮したそうだよ。オレは興味ないからよく知らないけどさ」と。

       反対側に説明板を見つけました。

       「ニット・インベーダーin長崎」というタイトルで、アーティストが寺の多いこの地域の橋に5色の毛糸を編み包み非日常的な景色を創出したのだとか。
 
            
                                

                     

       名物のチリンチリンアイス売り。

       おねえさんが器用にさっさとバラの形にしてくれました。

       シャーベットのようなあっさり味で150円と安い。



       
          
    
          


       出島は地元小学生の見学も多く、大賑わいでした。

       2000年から始まった復元事業で昨年16棟の街並みが甦り、今年は表門橋が完成するそうで未だ工事中のようでした。

       印象に残ったことは徳川幕府の命により、長崎の有力な町人が出資して出島が築造されたこと。

       当時貴重だった砂糖が台湾やインドネシアから輸入され、長崎と砂糖は深く結びつき、長崎と小倉を結ぶ長崎街道には

       カステラや大村寿司、小城羊羹などの砂糖文化が生まれたことに納得。

       現在はシュガーロードと呼ばれているとか。


          

          
           出島の中にミニ出島もできていました。





       歩き疲れてクタクタ、前回も訪ねた「吉宗」で茶碗蒸しと蒸し寿司(食べきれないほど)を食べてホテルに戻りました。