悪い癖で、原稿も締め切りはまだまだ余裕と思っているうちに、直前になり慌てふためき書く…

    何につけ、追い詰められないとエンジンがかからない性格です。

    展覧会もそう。いつでも行けると思っていると、あれ~もうすぐ閉幕だと思い出し、駆け込む。

    早く行きたいと思いながら、6月6日にようやく出かけた江戸東京博物館で開催中の「坂本龍馬」特別展。

    
        
        両国駅のホームから見える「江戸東京博物館」

        
        看板の「坂本龍馬」の書体が魅力的

        
        エントランスホールには等身大の龍馬像が


    
    平日とはいえたくさんの来場者。若い人からシニアまで、今さらながら龍馬人気は相変わらずでした。

    混んでいて見えないというほどではなかったのですが、手紙や資料が多く、熱心に読む人もいるので列が動かないのです。

    やはり龍馬直筆の手紙には、龍馬の人間的魅力が詰まっています。

    殊に乙女姉さんに宛てた手紙には、千葉佐那のことなど率直な表現は微笑ましく感じます。

    ところがです。かの有名な「霧島登山図と新婚旅行」と「日本を洗濯」の手紙の展示はこの前日(5日は月曜休館日)で終了していて、
    見られなかったのです。

    最初に書いた駆け込み性格のゆえ、残念この上なし。

    けれども龍馬が近江屋で暗殺された際、敵の刃を受けた龍馬愛用の銘吉行の刀についてその後の歴史を知ると感動しました。

    坂本家本家の九代目、坂本登さんは北海道出身で現在小平に住んでいらっしゃいます。

    7年前、NHK大河ドラマで「龍馬伝」を放映していた時分、九代目を取材したことがあります。
    
    坂本登さんの祖父弥太郎さんが釧路で事業をしていた大正2年に大火があり、龍馬の遺品が一部焼失したため、
    刀や手紙を京都国立博物館へ寄贈したと伺いました。

    これらが今、私たちが目にする遺品なのでしょう。

    銘吉行の刀は反りがほとんどなく、刃文も直刃風で「吉行」本来の作風とは異なることから、本当に龍馬の刀なのか疑問視されていたとか。

    しかし近年の調査で、坂本家に伝来する子孫の記録にこの刀は「釧路大火の際に焼けて変形し、反りを失った」と記されていたこと等から
    近江屋で龍馬終焉の時持っていた刀であることが確認されたそうです。

    この刀は京都からどこを経由して、釧路へ渡ったのでしょう?

    そしてまた、京都へ戻ったのですね。

    子孫の記録とは弥太郎さんが記したものではないでしょうか。

    弥太郎さんはは婿養子でしたが龍馬の顕彰活動に熱心で、京都国立博物館へ寄贈なさったのは先見の明でしたね。


    坂本家の人々については「ほのぼのマイタウン」145号特集にあります。

    家系図も掲載していますので、興味ある方はぜひ覗いてください。

          

    「ほのぼのマイタウン」ホームページ、「もう一度読みたい」より下記からどうぞ      

          http://honobono-mytown.com/csv/T145/145.pdf



    それにしても、この展覧会でも勝海舟のことが何か所もでていましたが、海舟の曽孫さんは隣の東久留米市にお住まいです。

    車で15分位しか離れていないところに、龍馬と海舟の子孫がいらっしゃる、これはロマンではありませんか。