「置賜(おきたま)」という土地名を知ったのはいつのことだったでしょうか。
山形県の内陸部南部、米沢市をはじめ3市5町を置賜地方といいます。
イザベラ・バードという英国人女性旅行作家のことを知ったのも数年前。
明治11年には一人で(通訳兼従者つきですが)約3カ月をかけて東京~函館間を旅し、詳細な紀行文を書いています。
あの時代に外国人女性が未踏の北国を旅したことに私は驚き、この作家に興味を持ちました。
「イザベラ・バードの日本紀行」(時岡敬子訳 講談社学術文庫)の中には
「米沢の平野は南に繁栄する米沢の町があり、北には湯治客の多い温泉の町、赤湯があって、申し分のないエデンの園」と書かれています。
その後には「繁栄し、自立した東洋のアルカディアです」とも表現しています。
英国の妹に送った日本見聞記なので、時には辛らつに、時には賛美し、著者の眼を通して当時の日本の暮らしが伝わってきます。
上下巻、900ページ以上もあるのでまだ読み終えていませんが、イザベラさんの行動力、観察力にほとほと感服します。
連休も終わり、世の中が静かになった5月8日と9日に、「置賜」の地名とイザベラさんの紀行文に惹かれ、その地に行ってきました。
帰京後、疲れとあいまって高校の同期会や何やかやでせわしく、ブログ更新がすっかり遅れてしまいました。
鷹山公精神が今も息づく米沢の街
上杉氏の城下町として発展してきた米沢市の人口は9万人足らず(小平市の半分)。
そんな中で、上杉謙信、上杉景勝、直江兼続、上杉鷹山などNHK大河ドラマの主役級の人物を輩出しているのだから凄い!(小平、誰もいない!)
伊達政宗も25歳まで米沢城に居たのだとか。

上杉謙信を祀る上杉神社
上野から山形新幹線で2時間と近い。正午過ぎに米沢駅に着き、まずは循環バスで上杉神社へ。
連休中の「米沢上杉まつり」が終わったばかりの、神社周辺は本当に静かでした。
観光客チラホラ、台湾(?)からのツアー客が少し。
巨大な上杉博物館(伝国の杜)とおしゃれなカフェがある物産館との間に広々とした参道が続いています。
松が多く、緑豊かで伸びやか。風は強かったけれど心地よい昼下がり。

上杉鷹山の像 あちこちに鷹山公の像があります

有名な鷹山公の名言

市内の通りや水路沿いに見かける、鷹山公が奨励したウコギ垣(食べられる垣根です)
名君として知られ、あのケネディ大統領が「最も尊敬する日本人」と語ったという上杉鷹山。
宮崎県の高鍋藩秋月家から迎えられ、第9代藩主となった鷹山は当時、石高を減らされ困窮する財政に大倹約を行い、養蚕、織物などを特産品に発展させ、見事に財政再建。
教育にも力を入れ、米沢を物心両面から豊かな藩にした理想のリーダーです。
ウコギは春から初夏にかけて出た新芽を和え物やおひたし、天ぷらなど何にでも調理できる栄養豊富な植物だそうです。
これを垣根にするとは鷹山公の賢い知恵ですね。
青々とした新芽が通りを美しくしていました。
お土産にウコギパウダーやウコギのこんにゃく麺などいろいろあり、買って帰りました。
ペットボトルのウコギ茶を飲んでみましたが、ちょっとほろ苦くいかにも体に良さそうでした。

濠からの眺めはゆったりとして、桜の頃はさぞかしと思わされました。
人っ子一人いなかった上杉伯爵邸。食事もでき庭が美しいのですが、ツツジはまだ早い頃でした。
ぶらぶら歩いて春日山林泉寺と旧米沢高等工業学校の建物を目指しました。

春日山林泉寺は上杉家の知将、直江兼続の菩提寺。妻お舟と一緒にお墓が並んでいます。

上杉家の奥方や多くの子女のお墓があります。
林泉寺から歩いて3,4分行くと、見たいと思っていた旧米沢高等工業学校本館が見えてきます。
山形大学工学部の前身で、この建物の裏側に近代的な工学部の建物があります。

明治43年竣工のルネッサンス様式の木造建築で国指定重要文化財

入口の天井も美しい
左右対称の洋館の前のベンチに腰を下ろし、しばし見とれていました。
予約すれば中を見せてもらえたのに残念と、悔やみつつ・・・
彼方に目をやると何か石碑が・・・


サミュエル・ウルマンの「青春」の詩が刻まれた碑でした。
あの「青春とは人生の或る期間を言うのではなく心の様相を言うのだ」で始まる詩。
よく定年後の方が書かれた文章に引用されているのを見かけます。
「なぜ、ここにあるのだろう?」と案内版を読むと、1945年にリーダーズ・ダイジェストに"Youth"というタイトルのサミュエル・ウルマン(米国人)の詩が掲載されました。
それを読んで感銘を受けた、この学校の元非常勤講師だった岡田義夫さんが翻訳。
それは私的なもので、座右の銘としていたところ、この学校(当時は米沢高専)の校長であった森平三郎さんが格調高い翻訳に感動し、桐生市の東毛毎夕新聞に紹介しました。
埋もれていた名訳が世に出ることになったきっかけです。
このお二人がいたから、私たちも「青春」の詩を人生の応援歌として味わうことができます。
この地が「青春」の詩のルーツだった、という発見は大いなる収穫でした。
また、ぶらぶら歩きで上杉神社方向へ戻り、米沢織の会館を見学し、見たいと思っていた刺し子工房へ向かいましたが閉館後で残念無念。
この辺りも風情ある古い家が残り、酒造資料館の前まで歩きましたが、何せバスが1時間に1本位しかないのです。
バス停で待っていたら、来たバスが通り過ぎそうに。慌てて運転手さんがストップ。
乗ったら乗客は私一人。5時頃の路線バスなのに?
終点の米沢駅までの10分余り誰も乗ってきません。
地方の現実を知らされた思いでした。

歩き疲れてクタクタ、ホテルの窓からの夕陽が癒してくれました。