想い出の知覧を訪ね指宿温泉へ

       2日目は鹿児島県へ足を延ばし、知覧経由で指宿温泉に1泊しました。

       18年ぶり、2回目の知覧は思い出深い地です。

       18年前の7月初め、私は一人鹿児島空港に降り立ち、幼稚園から一緒の旧友3人の出迎えを受けました。

       その中の親友Mが病気療養中で、入院中皆にお世話になったからと私たち3人を空港近くの妙見温泉へ招待してくれたのです。

       彼女の体調を心配しつつも、素晴らしい妙見石原荘で私たちは極上のお料理に舌鼓を打ち、天降川沿いの露天風呂を楽しみ、
       いつものようにおしゃべりに花が咲きました。

       その翌日、知覧の特攻平和会館と武家屋敷を彼女が先頭を切って、案内してくれました。

       病人とは思えないほど、快活で元気でした。

       けれどもその20日後、彼女はこの世を去りました。

       命の最後の灯を力の限り燃やして、彼女は私たちに渾身の想い出をプレゼントしてくれたのです。


    
       そんな想い出をこの前のように感じる特攻平和会館は、あの頃よりずい分整備されていました。

       

       
       特攻平和会館入口

       太平洋戦争末期の沖縄戦へ、この地から復路のない出撃へ向かった20歳前後の陸軍特別攻撃隊員。
       
       その戦死者は1,036名。彼らの遺影や、遺品、記録が当時を生々しく伝えます。

       中でも「これまで育ててくださってありがとう」と両親へ感謝を伝える遺書。
    
       「自分の亡きあとは、あなた自身のことのみを考え、幸せになってくれ」と婚約者への遺書。

       達筆な筆致に胸がえぐられるようでした。

       すべてが異なる手書きの文はなぜこうも伝わるのでしょう。

       彼らの犠牲の上にある、今の平和をのんべんだらりと享受している私たち。

       広島、長崎、沖縄とともに特に若い世代に一度は訪れてほしい場所です。

      
       
       特攻隊の母として慕われた鳥濱トメさんと隊員の碑

       
       県道から特攻平和会館へ向かう道路には慰霊の石灯ろうがズラリ。今後も戦死者の数まで建てられるとか。
       今頃はさぞ桜がきれいなことでしょう。


       孫は15歳、その柔らかい心にここはどう映ったのでしょう?

       あえて感想は訊ねませんでした。何かを感じてくれればそれでいいのです。


      
       知覧の武家屋敷群は18代知覧城主、島津久峯公の時代に造られたもので、約250年前から変わらない姿を留めています。

       居ずまいを正したくなるような、薩摩の武士らしい端正さを感じます。
   
       
       この日は人も少なく、静かなたたずまいに心洗われました

       
       時代を感じさせる苔むした石垣

       
       知覧独特の二ツ家民家 二つの屋根に小棟をつけてつないだ家
       ここの売店の知覧茶が美味しくて、いくつか買いました。

     
       

       
       正面左側が「おとこ玄関」右側が「おんな玄関」


       
       18年前、4人でランチした「高城庵」


       これらの武家屋敷群には名勝に指定された七つの庭園がありますが、今回は時間がなくて見学できず残念でした。



       知覧をあとにして、錦江湾に面した美しい海岸線を走り、指宿へようやく到着。

       砂風呂初体験をして、温泉に入り、夕食は地魚ほかいっぱいをいただきました。