9月9日、以前から行きたい、見てみたいと願っていた鶴川にある「武相荘」行きがようやく実現。

4年ぶりに会う、30年来の友Uさんとともに出かけました。



昭和18(1943)年から亡くなるまで60年近く、白洲次郎・正子夫妻が住んだ茅葺の家です。

次郎さん(こう書くと何やら親しげに感じますが)が「武相荘」と名付けたのは

この地が武蔵と相模の境にあったことと、彼独特の一捻りで「不愛想」とをかけて名付けたそうです。




長屋門の入口には次郎さんのアイデアによる木臼の新聞、郵便受けが・・・これも当時のままに遺されています。

門をくぐるとすぐに、門を覆うような柿の大木。前日の台風余波のせいか、柿の実がベチャッと落ちてきました。

見渡す限りの緑が清々しく、茅葺の母屋がその風景にしっくりと馴染んでいました。





この母屋がミュージアムになっていて、リビングの重厚なテーブルやソファも、テーブル上の飲みかけのウィスキーの瓶も当時のまま。

愛用の品々とともに、今も夫妻がくらしているような生活感があります。

室内は撮影禁止なので、伝えられないのが残念ですが、稀代の目利きと言われた白洲正子が収集した、古くは奈良時代からの骨董品の数々がさりげなく展示されています。

囲炉裏の部屋には使われていた、茶碗や皿などがレイアウトされて並んでいました。

正子さんの書斎は北側奥の飛び出た部屋で、仕事机の左右は本棚に溢れんばかりの蔵書が。

友人であった小林秀雄全集も並んでいました。

この書斎の事をかつて読んだ『白洲正子自伝』の中では次のように記しています。
  
  「その老人たちが住んでいた北向きの部屋が、今は私の書斎になっているが、農家の人々にとっては、いわば『姥捨山』のような一隅ではなかったであろうか。
   彼らばかりでなく、四、五代前の老人たちも、皆この部屋で命を終えたかと思うと、見知らぬ人々であったとはいえ、ある種の感慨を覚えずにはいられない。
   五十年も住んでいれば、私にとっても何か『結界』のような感じがして、書斎へ入る度に身の引締まる思いがするのである。」

こういう思いで原稿用紙に向かっていたのですね。

戦時中の食料悪化を予想して、1年以上かけて探し修理した農家。そこで夫妻は子育てし、鶴川村の人々に農作のいろはから教えてもらったそうです。


 

散策路とミュージアム前庭の石仏。自然のままの庭の所々に石塔や石の置物があります。





受付して初めに見えてくる 1916年型ペイジSix-38 フリードウッド製5座席ツーリングカー

白洲次郎がケンブリッジ大学留学中に英国の親友とともにベントレーを駆ってヨーロッパを旅したことは有名ですが、こちらは17歳の頃、父白洲文平から初めて買い与えられたアメリカ車の同型車。

8年前に放映されたNHKドラマ「白洲次郎」出演のために、英国のスポーツカークラブの協力を得て輸入されたもの。

若い男性の見学者がいるのも、カッコイイ生き方への憧れもあるのでしょうね。





ランチは母屋隣にある、次郎さんの工作室がリフォームされたレストランで。白洲家の定番であったという海老カレーをいただきました。

添えられた野菜のスープも自然のダシで美味しかったです。