荒井勝喜首相秘書官がオフレコの取材でLGBTQに対して「僕だって見るのも嫌だ。隣に住んでいるのもちょっと嫌だ」と発言し、差別的な言動とされ、更迭されました。
まずオフレコとは「談話などを公表しないこと、または非公式なものとすることを指す報道用語である。談話の内容を非公開とすることを発言者と取材者全員が事前に約した上で、本音を話してもらうことである。」
それを毎日新聞の記者が破り、差別的発言として報道した訳であるが、毎日新聞の記者が約束を破っており人として社会人として終わっている。相変わらずの左翼新聞社はどうしようもない
それとこの発言を差別と言っているがこんなものは差別ではない。
差別というのは認識や感じ方や見解の相違のことではない。
他の人達と別の対応をしたのか否かという時に差別になる。LGBTQだから店に入れないとか、人事評価を下げたとか、そういう不当な扱いをした場合を差別というんだよ。
今回のケースで言えば、LGBTQが隣に住んで欲しくないから、お金はあるのに家を売らないとか、部屋を貸さないとか、LGBTQを理由に不当な扱いをしたら差別と言えるが今回のは全くそうではない。
単にLGBTQに対して気持ち悪いって思っているだけでしょう。
なぜにLGBTQに同意、共感しないと差別呼ばわりされないといけないのか。これこそ思想の強制でありまさに北朝鮮と同じ。
こういうのを指して全体主義というんだよ。
この荒井勝喜は思わず本音が出たんだろう。でも実際LGBTQを気持ち悪いって思っている人なんて沢山いるし。
私だって気持ち悪いって思っている。
なのでこの荒井氏の感じ方自体は別に特段驚く事なんて何もないよね。
むしろ私が驚くのはLGBTQに同意、共感しないことをもって差別主義者の如きレッテルをはり、吊し上げ、
やり込めようとした悪意に憤りを覚える。
個人の性的思想はその個人の自由であるがその考えを強制し、同意しない場合は差別主義者と決めつける思想や風潮は到底許せない。
こういう強制や風潮は必ず怒りや憎しみを増長させ、その憎悪が自分たちに跳ね返ってくるであろうことをこの連中は知らないんだろうなあ。
荒井勝喜首相秘書官に対する3日夜の首相官邸での取材は、録音や録画をせず、発言内容を実名で報じないオフレコ(オフ・ザ・レコード)を前提に行われ、毎日新聞を含む報道各社の記者約10人が参加した。首相秘書官へのオフレコ取材は平日はほぼ定例化している
3日の取材では、岸田首相が1日の衆院予算委員会で同性婚の法制化について「社会が変わっていく問題だ」と答弁したことについて記者から質問があり、荒井氏は首相答弁の意図などを解説した。その中で「僕だって見るのも嫌だ。隣に住んでいるのもちょっと嫌だ」などと発言した。現場にいた毎日新聞政治部の記者は、一連の発言を首相官邸キャップを通じて東京本社政治部に報告した。 本社編集編成局で協議した結果、荒井氏の発言は同性婚制度の賛否にとどまらず、性的少数者を傷つける差別的な内容であり、岸田政権の中枢で政策立案に関わる首相秘書官がこうした人権意識を持っていることは重大な問題だと判断した。