ども。ぽかぽかして全く嫌な陽気ですね。嫌いです。寒くなって欲しいと思う自己嫌悪中のほのぼのです。
以前より書こうと思っていた池田信夫さんの「捨てる勇気」について書いてみたいと思います。
原文リンク→捨てる勇気
ツイッターでは「「人命も犬の命も同じだ」というコメントが多いのに驚いた。議論する気もないが、こういう連中がシー・シェパードを批判する資格はない
なんか原文がすこし以前読んだときより削られたのでしょうか?ブログ本文にシーシェパードと同類の考えであり批判する資格はないみたいのが書いてあった気がしたのですが・・・今見たら無いですね。
凄く気になったのがこのシーシェパードと同類にしている部分なんですよね。シーシェパードは所詮イデオロギー、営利的、宗教的な胡散臭い偽善団体でしかないですが、ここでの犬猫論争の人とは全く違うと思う。
ペットを飼っている人にとって犬や猫は家族なんですよね。シーシェパードにとってクジラやイルカは家族じゃないでしょ。よく言えば思想信条で悪く言えば営利目的のパフォーマンスの道具。
それを同一に見立て、批判する資格は無いといってしまう池田さんに「あーあー」って感じですね。正直この批判の仕方は残念ですね。多田レベルの痛さかと。
さっきも言いましたが、批判している人は恐らくペットを飼っているのでしょう。家族をないがしろされたような印象受け頭にきて池田さんを批判しているんでしょうね。
じゃあほのぼのはどうなのかって?価値なんてものは普遍では無いと思いますね。立場や人によって優先順位は違う。池田さんはペットを飼っていない、だから割り切って人を最優先だと言い切れる。ペットを飼っている人にしたら自分のペットは家族であり赤の他人より優先するという話かと。
また行政が人間を優先するのが当然だという意見は私もそう思う。
だけど一般人が土壇場で津波に流されそうな家族の猫と見知らぬ他人がいた場合、飼い主が猫を助けて見知らぬ他人を見捨てたとしても私はそれは良いと思う。価値は普遍じゃない。命の価値も普遍じゃないんだよ。見捨てられた人間やその遺族はなんで?って思うかもしれないですが・・・それは緊急避難時の人間の本性なのだから第三者が良い悪いを言っても仕方ないと思うかな。
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