諸葛亮チャンミン様 三国志 力 入ってました~~  | ほのぼのっと気ままにスローなブログ

諸葛亮チャンミン様 三国志 力 入ってました~~ 

winkさんお勧めの ウリ チャンミナ~~

[2009/06/14] Bigeastation 116 諸葛亮チャンミンさま










レッドクリフ見ましたよ~~ 前編 後編 
後編は迫力ありました。 

FORCE をBGMに使って欲しい位でした 公式に書いたとおり


http://redcliff.jp/news/index.html

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引用させてくださいね
http://blogs.dion.ne.jp/sekisindho/archives/3592184.html
賢者の石ころさまより ありがとうございます


  ・姜維(キョウイ)」 伯約(202-264)   天水郡冀県の出身   蜀漢の武将
まだ幼い頃に、父親は異民族の反乱鎮圧に従軍して戦死し、母の手で育てられることとなったのですが、天水郡の太守・馬遵にとても気に入られ、また戦死した父の代わりでもあったのか、20歳の頃には中郎将(秘書官長)に抜擢されています。

あの劉備が関羽や張飛の弔いに周りの意見も聞かず始めてしまった「夷陵の戦い」の大敗で、劉備だけでなく多くの優秀な人材を失い、遺命によって孔明が中心となって必死の国力回復策が行われました。


227年にあの有名な孔明の「出師の表」が上奏され、いよいよ孔明による「北伐」が開始されます。
北伐を開始して天水郡に攻めこんだとき、26歳の姜維は孔明の計略を看破し、趙雲との一騎打ちの末これを敗走させるなど、勇知兼備の戦を仕掛けて孔明に全軍を退かせる活躍をします。
その後、孔明の巧みな反間の計によって馬遵の疑心を引きだし、出陣していた姜維の帰る城がすべて門を閉じて、帰るべき場所が無くなってしまいます。

この姜維の前に孔明が救出した姜維の母を伴って現れ、大義を諄々と説いて自分の後継者となるべく、蜀に帰順することを請うたのです。
ただ母親の件は異説もあって、母親は魏に残っていたために捕らえられ、姜維に魏に戻るように手紙を書くのですが、姜維は「将来が諸葛孔明のもとで花開こうとしている」と返事して戻らなかったとも云われています。


その後、諸葛亮孔明の北伐に従軍して数々の功績を挙げるのですが、7年後ついに孔明が多忙と心労のために病を発し、「死せる孔明、生ける仲達を走らせる」と云われた「五丈原の戦い」なかばで亡くなるのですが、孔明の柩を守って、全軍をほとんど無傷のまま撤退させることに成功しています。

孔明死後の姜維には、まさに蜀漢の、劉備の、そして孔明の遺志、悲願を頑なに貫こうとする執念を発揮し、「魏」に対して飽くなき攻撃を試みることとなります。
この点で、姜維に対する評価はいろいろ別れるのですが、孔明亡きあとの蜀の軍事面を支えたという功績を評価される反面、多年にわたり無謀な北伐を敢行し国力の衰退を招いたという見方もでてきています。
「蜀」が「魏」に降伏した後も、反乱を企てるのですが、その夢も破れ姜維の妻子も皆殺しとなってしまいます。63歳の時でした。

しかしながら、日本においては判官贔屓の精神からか、三国志の登場人物の中でもとても人気の高い人物の一人であったといえます。