キョーコは近付いてくる蓮に気付いたが、構わず瀬戸内との会話を続けた。

おそらく、蓮にとってキョーコと別れたあとに残った唯一のアキレス腱。蓮のマンションのカードキーを取り戻しにきたのだろう、とキョーコは予測した。

「…ま、別れて正解なのは否定しませんけど。もともと三ヶ月のお約束だったので。それはもういいんです。完全に終わったことなので。
ところで瀬戸内さん、家にあがっていかれますか?送っていただいたお礼に、コーヒーでもごちそうしますよ。」

キョーコは蓮に向かって、もうあなたの周りには近付きませんから安心してください、という気持ちと、これから色々と経験を積むので、そのうち一晩の欲求処理のお役目くらいは果たせるかもしれませんよ?、と破綻寸前のグチャグチャな気持ちを抱えていた。

そう。蓮の体温を覚えてしまった今、やはりキョーコはどうしても全てを諦めきることはできなくて。末席の彼女でも、その後も蓮との繋がりが残るなら、一夜の相手としての可能性はゼロではないと、どうしても。思わずにはいられなかった。



「え、京子ちゃん、それって…。」

明らかに何かを期待したような瀬戸内の弾んだ声を聞いて、蓮は胃の腑が煮えくり返る。身の内に住まう凶暴な自分を押し隠して、するりと二人の前に現れた。

「…こらこら。いきなり浮気の演技?俺に見せつけようなんて。キョーコは悪い子だね。俺にやきもち妬かそうとしてるの?クス。こちらの方に失礼だからやめなさい。え…と、…瀬戸内さんとおっしゃいました?はじめまして。敦賀と申します。私達の痴話喧嘩に巻き込んで本当に申し訳ない。」


(つ、っっ敦賀蓮!!!?)


突然のビックネームの登場に、そしてなにやら突っ込み処満載な科白に、瀬戸内はもう完全にムンクと化している。

「キョーコ、君、俺のマンションの合鍵持ってるよね?」

なんでもないことのように、爽やかにキョーコに話しかける蓮。

「…はい。持ってます…けど。」

「ああ、助かった。今朝、私が出る時には彼女がうちの部屋の鍵を中から閉めてくれたので、自分が鍵を持たずに出たことに気付かなくて…。ね、キョーコ?君は今夜も俺の部屋に泊まっていくと思っていたけど、一旦自分のマンションに帰ってきたんだね。
…そんなわけなので、本当にすみません。お詫びに代わりのタクシー呼びますね?」

これまた爽やか〰に、本当に困っていたけどホッしました〰という体で、眉根を下げて瀬戸内に話しかける蓮。

「えええっ!?いえ、いや!!あのっ!大丈夫です!結構です!し、失礼しました〰っ!!」

瀬戸内は、バックンッとお辞儀をすると、一目散にその場をあとにした。


〰・〰・〰・〰・〰・〰・〰・〰・〰・〰


シン…と一瞬だけ、二人の間に沈黙が落ちる。


「敦賀さん、お忙しいのにすみませんわざわざ。え、と。ガードキーでしたよね?明日にでも社さんにお渡ししようかと…。」

キョーコは、蓮が何を目的としてこんなことをしているのか全く皆目つかなかったが、とりあえず、自分の予測のもとに話しかける。今にも泣きそうなのに、沈黙なんてこれ以上耐えられなかった。

「今の男、何?」

蓮の怒気をはらんだ低い低い声がキョーコを威圧する。蓮の怒りポイントが全くわからないまま、キョーコは事実そのままを応えようとした。

「本日のバラエティー番組でご一緒しまして。前々からとてもよくしていただいていて、今夜はお食事をご馳走になってきたところです。」

「…前々から?あの男…そうだったのか…。で。今、家にあげようとしてた?俺は入れてもらったことないのに?」

蓮のイライラが増してくるのが空気を通して伝わってくるが、キョーコはどうしてよいかわからない。

「先日申し上げた通り、万が一にでも私とスキャンダルになったら、天上人であらせられる敦賀様の経歴に泥が…。瀬戸内さんはうちにあげるといっても、コーヒーをごちそうするだけですし…あ!瀬戸内さんの誤解を解かないと!すぐに電話で釈明します!それに、今の状況も非常に危ないです!マスコミわいてきます!さ、カードキーどうぞ。お手数おかけいたしました!」

カードキーを渡そうにも蓮がなかなか手を出さない。仕方なくキョーコは蓮の手をとって、掌の中にガードキーを乗せようとすると、逆に手首をガッチリと捕まれた。

「…最上さんは俺を捨てるの?なんで?外でデートできなくてつまらなかった?ごはん作るの負担だった?」

「っえ、す、すてっ!!?」

思わず叫んで、キョーコは、実は蓮は日本語で話しているのではないのではないかと思いながら、口をあんぐりしたまま固まるしかない。

「そうだろ?君が俺を捨てるんだろ?……でも、俺は黙って捨てられるつもりはないんだ。どこまででも追い縋っていくよ。あ、そうだ、ねぇ。もっと外食する?最上さんが料理の研究をしやすそうなお店、色々リサーチしといたよ?だけどさ、俺はおうちごはんが好きだから、俺も料理を練習するよ。隣で作ったら、もっと一緒にいられるよね?最上さんの負担も減るし。それか、タインティーのブレスレットが好みのデザインじゃなかった?なら、今度は二人で一緒に買いにいこう。次は指輪もいいよね。最上さんが好きなの買うよ。それとも、ゆうべがっついたのが嫌だった?なんでだよ…!仕方ないだろ…!?好きな子にそういうことしたいって思って、何が悪いんだ!最上さんが全部欲しいのずっと死ぬほど我慢してきたのに!あんなに耐えて、逆に褒めてほしいくらいだ!!」

「な、んで…敦賀さん、何言ってるんです、か?全く意味がわからな…。」

ポロポロと涙をこぼしてカタカタと震えながら、キョーコは小さい声を出す。

「意味がわからないなんて、こっちのセリフだ!三ヶ月ってなんだよ…お約束したって。そんな約束した覚えない!俺は別れたいなんて言ってない!!キョーコちゃんがなんて言ったって俺は絶対に別れないからな!!」

骨が軋むほど抱き締められてキョーコはもう息もできない。

「キョーコちゃん…愛してるんだ。キョーコちゃん…。お願い…どこにもいかないで。キョーコちゃんがいないと真っ暗で……どこにも光が見えないよ…。」

蓮の震えがキョーコに伝わって。キョーコは自分でも驚くくらいに、本当に突然に、視界がひらけてきた。ストンっと、蓮の言葉が体の奥に入ってくる。わからないことはまだまだたくさんある。全部に納得できたわけでもない。

でも、もし。一貫して蓮に向けられていたものが本物なのだとしたら?

そう。たしかに蓮は、「三ヶ月」なんて言葉はキョーコに一言も言ってない。「別れ話」だって一度もされてない。泉さんが言っていただけだ。
ずっと。ずっと。視線で言葉で態度で。蓮はキョーコに好きだ大切だと言っていた。だから、キョーコは辛かったのだ。

(敦賀さんのは全部演技じゃなかった…?
…え?、じゃあ、あれもこれもそれも、敦賀さんの本心…?)

「俺の気持ちが大きすぎるのはわかってる。キョーコちゃんからしたら俺が重た過ぎるのだってわかる。昨日みたいなことだって、これからも我慢できずにもっとしてしまう。でも、俺は、君をあきらめられない。挽回のチャンスをくれないか?お願いだから見捨てないで?」

キョーコは混乱しながらも、話しかけられた内容には答えていく。

「…私が敦賀さんを見捨てるとか、あり得ないですし…。」

「…え?じゃ、じゃあ、これからも付き合ってくれるの?」

「だから、なんでそんな私の方が優位みたいな…。だって、敦賀さんをたくさん好きなのは私の方…。」

「…すき?すきってあの好き?えと、恋愛とかの!?」

「っっ!そ、そうですよ?そうに決まってるじゃないですか!な、何を今更…。」

「今更って…。俺、はじめて聞いたんですけど…。」

「…は、はじめて…?」

「そ、そうだよ。はじめてでしょ?」

「……ん?」

「『ん?』って……。」

蓮は困惑顔だ。瞳はゆらゆらと揺れている。


そんな蓮を見上げたまま、キョーコは、(ああ、そうか。)と思った。






ずーっと自問自答していた。

何を考えても。
何を思っても。
何か変だと思っても。
嬉しくても。
悲しくても。

何もかも全てを自分の中にためこんで、蓮には伝えてこなかった。

(そうか〰。私が何も言わないんじゃ、敦賀さんに伝わるわけがないかぁ〰。)







ふ、とキョーコが今に意識を戻すと、蓮がかなり至近距離からじぃっと見つめていることに気づいて。その瞳が強い意思を秘めていて。キョーコは、かぴりっと固まった。

「つ、つる…?」

「両想い?」

「へ?」

「つまり、俺達は両想い?」

「……。」

「……。」


(両想いって、あれよね?お互いに想いが通じ合っている、とか相思相愛とかいう意味の、あれ。うんうん、そうかあ。私と敦賀さんて両想いだったんだあ〰。…へぇ、え?両想い???は!?誰と誰が!?それに、敦賀さんのキョーコちゃんは?あ、でも、敦賀さんが言ってたこともしてきたことも全部本当で…演技じゃなくて…。そうそう。それは、さっきわかったのよね…。じゃあ、だから、敦賀さんをシェアしている私以外の7人の彼女さんのことはどうなったんだっけ?んで?さっき、昨日みたいなこともこれからもするって敦賀さん言ってた??昨日みたいな?昨日…)

「そう。昨日みたいなことね。いっぱいいーっぱい!するよ?今日もしたいなあって思ってるし。ちゅっ。」

「ほげっ?」

「ふふ。可愛いキョーコちゃん。口から出てるよ、ぜ〰んぶ。ちゅっ。」

「もげっ?」

「あのね、俺ね。キョーコちゃんに聞きたいこと、話したいこといっぱいあるんだ。…キョーコちゃんもでしょ?」

「ぁぅ…聞きたいこと、話したいこと…」

「うん、そう。さしあたって、俺、あんなに好きだって言ってたのに、なんでキョーコちゃんに全く伝わってこなかったのかな、とか。あと、さっき、キョーコちゃんがつぶやいてた、『私以外の7人の彼女』って何かな、とか。」

「…っっえ…っと…。」


ファンッ!!

「こらっ!危ないだろーが!」

フラフラと歩く酔っ払いに鳴らした車のクラクションに、蓮は我を取り戻す。

「おっと、いけない。マスコミはまあいいとして。ここは落ち着いて話せる環境じゃなかったね。…キョーコちゃん。今から車、ちゃんとしたとこに停めてくるから、家にあげて?しっかりと二人で話そ?…あっ、ね、コーヒー飲みたいな。」

「…あ?…はな?…こ?」

「うん。じゃ、またピンポンするからね。」

ふわりっと笑って、蓮は小走りに駆けていく。

キョーコは、ヨタヨタと歩きだすと、コーヒーの準備をするべくマンションに入っていった。


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あんれ〰っ?終わらないよ?終われないよ??なんで?蓮さん、せっかくブチ切れたのに(・・;)

…つ、次こそは………(*T^T)