今日、蓮が海外ロケから戻ってくる。自宅マンションへの帰宅は20時頃の予定だ。

キョーコは夕方に入浴して、丹念に泡で体を磨いた。蓮に要求されていたタインティーのコーディネートとお泊まりグッズを持って、蓮のマンションに入る。

夕食を作って、仕上げるだけにしておく。

時刻はもう19時過ぎ。キョーコは緊張のポルテージが上がってきて、口の中が乾いて仕方ない。

ゲストルームでワンピースに着替える。あらかじめ来てこなかったのは、汚したり皺になると嫌だったから。せっかくいただいた、キョーコには不釣り合いな上質なもの。それに、できるだけ綺麗な自分を見てほしかった。蓮の記憶の中に残る「最上キョーコ」の姿は、おそらくは今日の自分が最後だろう。そして今後は、「タレント・京子」としてしか蓮と接する機会はないはずだ。

無意味かもしれないが、化粧箱から出したての新品のパンプスも玄関に置いておく。帰宅の時はこのワンピースなのだから、それに合わせた靴を、と思ったのだ。

メイクもして、クルリっと姿見の前で一周する。

今の自分にできる精一杯の「最上キョーコ」が出来上がったかな、と少しだけ笑顔を作る。それでもせいぜいが「最上キョーコ」だ。どうあがいてもどんなに努力しても、「敦賀蓮」を満足させるには、あれもこれも足らなさすぎた。

でも、そこはもういいか。
人生諦めも肝心だ。


そんなことよりも。

もうこれで最後。本当に最後だ。

「彼女」は最後。

寂しい。哀しい。辛い。

恋しい恋しい恋しい恋しい恋しい。

あの、力強くて安心するあたたかな腕の中も、蕩けるような心地のよい優しい声も、もう二度と手が届かなくなる。

こんなにも、蓮が大好きなのに。蓮の心が欲しくてたまらないのに。

二度と近づくことも許されないだなんて、そんなことに、そんな辛い現実に耐えられるだろうか。キョーコは自問自答する。…とても耐えられる気がしない。でも、それでも。耐えるしか、それしかキョーコには道はない。選択肢はないのだ。

どんなに辛くても苦しくても、蓮の体温を感じることは二度とない。

(8番目の彼女達の中で一番。敦賀さんに女性として扱ってもらう。その二つを望むだけだけでも、罪深いことだというのに。)

キョーコは、手首のブレスレットをぼんやりと眺める。

(8番目の彼女、かぁ…。)

実は、蓮がいない一週間の間に、キョーコの周りではなんだか色々なことがあった。


まずは、LME事務所での平手打ち。
林愛弓がどこから現れたのか、、出勤してきた右近ジョーを、玄関ロビーで思いきり平手打ちしたのだ。
愛弓は、「2年も当て馬にするなんてサイテー!!」
と捨て台詞を吐いて、颯爽と去っていった。

ジョーは若かりし頃、お笑い界の重鎮の長女を嫁にもらった。おそらくは、芸能界で登り詰めていくためのアイテムの一つのつもりだったのかもしれない。その重鎮にとっても、優秀な後継者を手に入れて、己の影響力をお笑い界に残せる。お互いにとって、政略結婚そのもの。ところが、だ。ジョーは、妻に本気で惚れてしまった。しかし、仕方のないことではあるが、元々の女好きで羽目を外していた過去が祟って、妻からはジョーの愛は受け入れてもらえず。結局なかば不貞腐れ、かつ悲しい男の性(さが)で、埋まらない心の隙間を他の女性で埋めようとしてしまった。モテる自分を見せて、妻に焼きもちを妬かせたいという、意味不明な作戦も兼ねていた。愛弓はそれに薄々感じてはいたが、惚れた弱味で認めたくなかっため、ずるずると2年も付き合ってしまったのだ。

それが今回の入院をきっかけに、妻がツンデレさんだと発覚し、喜んだジョーが妻のご機嫌取りに勤しんでいることを知ったのだ。

平手打ちを偶然にも目撃したお喋り好きなスタッフが、お昼休憩に興奮して話しているのをキョーコは聞いて、開いた口が塞がらなかった。


次に、モデル・殿川エリカの電撃結婚。彼氏である男性モデルとは幼馴染みで、中学生の頃から一途なお付き合いをしていたと。報道の渦中の二人は、幸せオーラ全開で、ラブラブそのものだった。


最後に、カメラマン・加山綾子。ラブミー部への依頼で、社の事務仕事の極一部代行をしていた時。綾子が出来立てホヤホヤの雑誌やらパンフレットを持ってLME事務所にやって来たのだ。お腹がだいぶせり出してきていて、キョーコは驚きのあまり腹部を凝視してしまった。「れ、じゃない。敦賀君ったら、やっぱりきちんと説明しなかったのね、ブツブツ」なんて言いながら、あの夜の事の顛末を全て話してくれた。あの時追い出さずに一晩のお宿を提供してくれたことに、とても感謝しているとのことだった。



キョーコは激しく混乱した。

(あれ?結局みんな違ったの……?私とシェアリングしている同志の皆様ではなかったの?)

実は、本当のところ、キョーコは「なんだか変だ。」とは思っていた。

「敦賀さんの他の彼女さん達はいったい誰で、いつ会っているというのだろう。」と。キョーコが短時間とはいえ頻繁に自宅にお邪魔しているのに、全くその影を感じない。外で会っているのかといえば、超多忙を極める敦賀蓮のスケジュールだ。そんな時間が果たして捻出できるのかどうか。でも、だからといって、それじゃあ、自分は、なんなのだろう。単純に考えると、導き出される答えは、「たった一人の唯一の彼女」。


(…唯一?アハハ、やだやだ。そんなわけないし。敦賀さんにも最初に言われたじゃない。『食事を作ってほしいって。君のごはんが食べたいんだ。』って。)

結局、答えは出せないまま。

蓮に直接確認してみたいという気持ちもあったが、キョーコにはできなかった。三ヶ月前は当たり前だと思っていたシェアリングが、今は辛くて仕方がない。蓮のあたたかい体温を享受しているうちに、キョーコの中で独占欲が育ってしまった。他の彼女のことなど、蓮の口から直接聞きたくはない。

蓮からのスキンシップは、最初の頃は憤死しそうだった。けれど、正直なところ気持ちがよくて、少し慣れてくると、もっともっとと求める気持ちが育ってしまった。これ以上は本気で不味いとキョーコは思う。心の奥の奥に押し込んだ「嫉妬心」を押さえられなくなる。

そして、他の彼女のことを指摘して、蓮から「分をわきまえない図々しい女」だと思われたくはなかった。




考え事を一通り終えると、ふっと意識が今に還ってくる。

一週間前、蓮に直に『ほにゃらら』を仄めかされると、そのパンチ力は強烈だった。ベッドに誘ってもらうのが通例だとわかっていたくせに、動揺しすぎて普通に歩けなくなった程だ。


蓮から、成田を出たとメールは来ていて、そろそろ帰宅だとわかっているキョーコは、緊張のあまり息苦しくなってきた。

でも、きっと帰宅した蓮はまたふんわりと抱き締めて、「最上さんが来てくれて嬉しいな。」と、あの気持ちのいいキスをしてくれるのだろう。現金なもので、キョーコはそれは楽しみでしかたない。

マンションの下からのチャイムが鳴り、キョーコは忠犬よろしく玄関先に突っ立っていた。

…ところが。帰宅した蓮は、あまりにも普通だった。三ヶ月前の蓮に戻ったかのようで、ただいまのキスもないし、キョーコに触れてくることもない。

「さっとシャワー浴びてくるよ。」

とキョーコの横を素通りして行く。

キョーコは、蓮からの接触を期待していた自分が恥ずかしくて可哀想で、小さくなって夕食の仕上げにとりかかった。

キョーコが最後の晩餐に撰んだメニューは、「サゴシの梅蒸し、ホウレン草と榎茸と明太子和え、高野豆腐と蒟蒻の煮物、めかぶと豆乳の味噌汁、玄米」だった。

海外で心身共に疲れたであろう蓮を労りたかったから。

蓮は、食卓に並んだ食事を、にこやかに美味しそうに食べた。そして、食事への賛辞を述べてくれる。でも、キョーコへは熱い視線は注がれなかった。

(前はこれで満足できたのに、これだけでも価値のあることだったのに。「食事を美味しく食べてもらうだけでは全然足らない」と思ってしまうだなんて、なんて私は欲深い。

でも、落ち込んでいる場合じゃない。私には後がない。今夜が『最上キョーコの彼女としての最後の夜』なんだ。あとでいくら後悔しても遅い。今夜のために、ずっと頑張ってきたのじゃないの!?)

キョーコは、心の中で自分自身に発破をかけた。








夕食の片付けが終る。今日は、蓮は疲れているだろうからとキョーコが一人で行った。実際に、蓮は少し元気が無いようだった。キョーコが話しかけても、上の空で会話が成り立たないこともあった。

ただでさえ疲れている蓮が、心身共にそれなりに労力を必要とする、「ほにゃらら」なことを、初心者のキョーコとあえて今からしたいと思うだろうか。一度覚悟を決めたはずのキョーコの気持ちはどんどんとネガティブになっていく。しかし、なにせ一応は先週誘ってきたのは蓮であるし、キョーコには今日しかチャンスがないのだ。

キョーコが、「いざ、勝負!」と勇気を振り絞ってリビングに入って行くと、蓮とバチっと視線が合う。

蓮がうろたえたのが、キョーコからは一目瞭然だった。

今しかない!と、キョーコは勢いに任せて叫ぶように言う。実際に出てきた声は思った半分の声量もなかったけれど。

「この服を贈ってくださった意味、ちゃんとわかっているつもりです…!」

蓮の顔が驚愕に固まる。


「…っえ?…ち、違っ…?」

キョーコは、全身が熱くて仕方ないのに、冷や汗も吹き出してきて、暑いのか寒いのか。

(っぅ〰〰っ!!死ぬ程恥ずかしい!!もう消えていなくなりたい!!バカバカバカバカ!敦賀さんともあろう方が私なんかにそんな気になるわけないじゃない!)

「そ、そそ、そうですよね!罰ゲームじゃあるまいし。私なんかを本気でどうにかしたいだなんて思うわけ……し、失礼しました!!」とカバンを引っ付かんで、走りだそう、とした体は一歩も進めなかった。

体が軋んで息もできない。

蓮に、うしろからものすごい力で抱き締められていたから。

「…それ、ほんとう?ほんきで言ってる?」

今まで聞いたこともないような、低くて掠れた声がキョーコの耳に直接入ってくる。

小さく、でもしっかりとキョーコは答えた。

「…はい、もちろん…です。」

「…そんなの反則だろ…。」
蓮が、ため息と共につぶやく。

「自分から要求しておいておかしいけど。それでも、最上さんが、そんなつもりになるわけはないって自分に何度も何度も言い聞かせて。君に襲いかかりそうなのを必死で耐えてたのに…。」

蓮は、そう言ったっきり、固まってしまう。無言のまま動かない蓮に、キョーコが不安になってきた頃、

「寝室、行こう?」

蓮の押し殺したような声が、密着したキョーコの脳髄に響いた。

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