済み=ライブドア 楽天 ロリポ 


彼氏と「キス」したことが原因で「死んでしまった!」なんて、幸せの始まりなのに、死なせてしまった彼も不幸のどん底になってしまったじゃん!!

それって彼氏は、再復帰できるの??


落花生油ってこわいね~!


そして、私が楽し~くやってる自宅でやるお仕事紹介です

トラ 

長男は、2度のジャッキーへのチャレンジも、無残に“不合格”と、
厳しいというより冷たい現実の中にいました。
小学校からそのために勉強し、そのために馬術部のある農業高校へ
入学し、そのため『リンチ?』まがいにも耐えてきました。
自宅から遠いので、高校の寮生活を我慢しているのも、目的が
あればこそ耐えられることでした。
それが不合格発表とともに、”ブッチーン!”と切れてしまいました
学校もやめたいと言い出し、
目的を失い、一生懸命やった分、つらさも大きかったと思います。
だれでも通過しなければならない道ではありますが、親として
何もしてやれず、はがゆいばかりでした。
ひたすら「せめて、ぐれないでほしい」「何か、新しいものを
発見してほしい」「違う世界に目を向けてほしい」・・・
神様が存在するのなら、こんな素直ないい子を見捨てないでほしいと、
空を見上げることも何日か続きました。
1日の長い長い1週間でした。
※こんな思い出も、今では懐かしく感じられ、母親として
 いい思い出を持っていると自分のことを思います。
中3年になって、いよいよ中央競馬の試験があり、小倉までの
遠い道のりを不安いっぱいで走り、筆記試験、面接、とこなし、
そう・・・長~い一日でした。

そして何日たったか、結果は・・・不合格でした。
それでも、長男はあきらめませんでした。
小学生のとき、テレビで報道された乗馬の「全国大会」に出場して
いた熊本県の菊池農業高校馬術部、頭の中にはこの高校がありました。
毎日勉強した成果が出て、このときは農業高校への受験は「心配ない」
程度でしたが、長男の夢は「中央競馬界のジョッキー」ですから、
受験とは関係なく、勉強を続けていました。
いよいよ農業高校へ入学し、馬術部へ入部しました。
遠方からの通学になるし、ここの高校では全員寮生活をすることに
なっていました。
けれども、馬術部としては有名なわけで、部員も当然たくさんでした。
規則もいろいろあり、連休や日曜日といっても帰宅することは許され
ない状況でした。
皆、帰りたいのを我慢しているのに、帰宅することが、トラブルに
発展しました。自分は遠いから・・という長男の言い分が通るはずも
ないのでした。
生徒同士のトラブル・・・悶々とした寮生活でした。
また、現代の若者にとって、寮生活とは息苦しくなるほどつらい
ものだったと思います。
寮の中では、親の知らないいろんなことがあったようです。
ただ、極限まで至っても「それ以上の沙汰」にならなかったのは、
寮へ担任の先生方も交代で泊まりこんであったことが大きかったと
思います。
そして、生き物といつも共生している生徒と先生・・・動物とは、
ほうっておいたら死ぬ・・・えさをやらなかったら死ぬ・・・
水もなければ死ぬ・・・寒い外にほうっておけば死ぬ。
いつも生と死がつきまとっているものだと思います。
ジョッキーの話を中断して、高校での出来事を紹介させてくださいね。
  卒業前の学園祭で、手作りの劇の発表がありましたが
  「同世代の、同じような寮生活をしている仲間同士のトラブル」
  それがテーマでした。
  内容は、
  「先生不在中の、真夜中の牛の難産」が主なテーマで、命の大切さ、
  トラブルという枠から出て対処しなければならない命の問題でした。
  自分たちが喧嘩をしているうちに、牛は死んでしまうというものでした。
  また、授業としては、3年間「家畜として育てた牛」を、
  「肉牛として育て上げた牛の出荷」すること・・・
  数少ない女生徒たちは、泣きながら現実を受け止めていたようです。
  そんな、普通高校では味わうことのない生き物との共生を経験しました。
  トラブルに対処される先生方も、生き物への対応が常に授業されていて、
  高校生で、先生のすばらしい生徒への対応が、強く印象づけられています。
話を、長男のことに戻しますね。
農業高校1年生になって、2度目の受験をしました。
そう! 夢の小倉競馬場へ向かいました!!
試験・面接・運動・身体検査・・・すべてうまくいきました!
面接では、親=私の面接もあり、(主催者は面接ではないと言うけれど)
そこで、「他の受験者とは面魂が違います!」と、力強いお言葉を
いただき、「期待できるかも!!」と、長男には言えませんでしたが、
内心胸が躍りました!!
帰路、長男の方も、筆記テストで「自身あり!!」と、昨年とは
違って、やんわりにんまりの帰宅となりました♪
そして、いよいよ発表の日です。
・・・じらすわけではないですが、長くなりましたので、次回を
お待ちくださいね~!
長男が、小学6年生のとき、突然、ジョッキーになりたいと言い出し、ホントに驚きました。
長男は、小さいころから体が弱く、スポーツにはまったく向いていませんでした。
それでも、真剣に、中央競馬に入りたいと思うようになったのです。
母親として、夢を摘み取るわけにはいかず、できることには協力するという体制にならざるをえませんでした。
これまで、学級では中以下の成績で、まるで宿題もやっていない状態でしたが、
試験をクリアするために、塾に通うようになり、成績はめきめきと上がりました。
塾は、少し離れたところへ行きたいというので、私の友人に頼み込み、中途入学させてもらいました。
夕方、祖父から送ってもらい、私の仕事帰りに迎えにいくという毎日が続きました。
でも、迎えに行くのを忘れて、そのまま帰宅しそうになったこともあり、母親として、車で引き返すこともありました。おっちょこちょいを丸出しにしてしまいました。
私が塾に迎えに行くまでの間、長男は、塾長から「私の中学生時代」をいろいろ聞いていて、「そこまで聞いた!」と、驚くような事実がバレバレでした^^;
中学1年のとき、担任の先生から、入学当初から3学期までに一番成績が上がったとほめられ、勉強のやり方がわかるようになったと、長男も言うようになりました。
3年になって、いよいよ中央競馬の試験がありました。
小倉まで、車を走らせました。私にとって、初めての道、初めての遠出ともいえる出来事でした。
  筆記試験、面接・・・そして親も面接か?
長~い一日でした。
結果は・・・みごと不合格でした。
この続きは、また次回に書きますね!
ひょんなことから、ひょんなHPに出会い、副業にしています。
人に喜ばれるお仕事だったし、これから必要な仕事に思えました。
こんなHPとの出会いからでした。


歩いていけるところに、小さなバレー教室があったので、ちょこちょこ見に行ってました。

格子のある窓の外から、中を眺める感じで・・・
今思えば、まるでオリの中にいるみたいだったと思います。


みんなが白いレッスン着を着て、レッスン用シューズを履いて、アン・ドウ・トロワ・・・とやっていました。


 私も踊りたい!!

そう思っていたのですが、「何ば言いよると!」と、姉から笑われてしまいました。

習い事にお金をかけられないし、才能も必要だと言われ、ショボンとしながら帰宅しました。


つま先立ちして、アン・ドウ・トロワと、家の中で踊るまねをしていました。

そのせいか、親指先が上にそりあがっています。


 なりたくても、なってはいけないものなんだ~」

 だと、子供ながらに思いました。


私にとって、最初に捨てた「なりたいもの」です。

今、53歳・・・一昨年までは、私にとって経済的にも「どん底」でした。

ひょんなことから、副業に出会い、この歳になって

「夢を見ることができるようになりました!」

がんばってきてよかった!
心からそう思います。


  <私の副業はこれです!>