図書館で知人に会い、葉室 鱗が好きでよく読んでおり、
「読後感がすっきりするよ」という感想のもとにこの本から読んでみたらと勧められました
昔、読んだ記憶があるのですが、内容が思い出せず
「読後感がすっきりする」というような本であれば、読み返すこともできるかなあと
葉室鱗を開拓していく、一歩として
もう一度読んでみることにしました
本当に、最近は、読後もやもやする本は苦手なのです
豊後・羽根藩の奥祐筆・檀野庄三郎は、城内で刀傷沙汰に及んだ末、からくも切腹を免れ、家老に向山村に幽閉中の元郡奉行・戸田秋谷の元へ遣わされる。秋谷は七年前、藩主の側室と不義密通を犯した廉で、家譜編纂と十年後の切腹を命じられていた。庄三郎には編纂補助と監視、七年前の事件の真相探求の命が課される。だが、向山村に入った庄三郎は、秋谷の清廉さに触れ、その無実を信じるようになり・・・・・ (本の帯より)
物語全体に蜩が鳴いている夕暮れ時の静かな、そして物悲しいような空気感の中で、死に向かう3年間が経過していきます
無実であることを秋谷は弁明することなく、誰を恨むことなく、粛々と最後の最後までを家譜編纂に従事する。
なぜ、弁明しないのかという庄三郎に対して
「順慶院様は名君であられた。それゆえわたしは懸命にお仕えした。疑いは、疑う心があって生じるものだ。弁明しても心を変えることはできぬ。心をかえることができるのは、心をもってだけだ」
と話す。
主君と家臣との関係
今の世の中では考えられない
「忠義とは、主君が家臣を信じればこそ尽くせるものだ。主君が疑心を持っておられれば、家臣は忠節を尽くしようがない。されば、主君が疑いを抱いておられるのなら、家臣は、その疑いが解けるのを待つほかない」
村では、百姓一揆が計画され、不穏な動きがある中で、百姓が使う鎖分銅というもので村役人が殺される事件があり、
秋谷の息子、十歳の郁太郎の親友 貧しい百姓の息子であるが、人を恨むことがない源吉が事件に巻き込まれ役人から五拾叩きの刑で、殴り殺されてしまうやりきれない事件もあり・・・・
「ひとの怨みはさらに怨みを呼ぶ。怨恨は果てるこということがない」
秋谷の周囲は、この怨みを消去しているから、蜩が鳴くような、清々しい空気感があるのでしょう
それにしても、秋谷はどうなるのか、その家族はどうなるのかとはらはらした気持ちで最後まで読み進めましたが
自然のままに、なるようになったのに、最後は不思議なほどに幸せ感でまとめることができてます
以前も、読んだはずなのに、その時はどんな感想を持ったのか忘れてしまっている自分が怖いです
「葉室 鱗」 何だかこの作風はすきです!ほかの本も読んでみます!