表紙の椿に引かれてこの本を選びました
白洲正子さんという人を全く知らないながら
「この本を、持っていたい」と思ったのです
白洲正子
1910年、樺山伯爵家の次女として東京に生まれる。幼い頃より能を学び、14歳で女性と
して初めて能舞台に立つ。その後渡米。1928年に帰国、翌年白洲次郎と結婚。
古典文学、工芸、骨董、自然などについて執筆した。著書に『能面』『かくれ里』『西行』ほか
多数。1998年没
自分の長所を見つけることは言いことです。なるたけ早く見出すほどいい、と思います。そのよさというものは、しかしほっておくとすぐ悪くなるおそれがあります。玉は磨かねば光らないのです。玉を持っていると自覚してそれで安心していたのでは、一日たりとも、今度は玉の方が人をゆるさなくなります。
玉は昔の自分とともに置き去りにして、現し身ばかり年をとり世とともに馴れていったのでは、それでは他人に「変わった」と見られるにきまっています。他人はほんとに利口者で、すぐ私達を見破ってしまいます。どこで覚えたのか、と聞きたくなるほどの正確さをもって。
他人は鏡です。
伊達者でなくとも、私達はしじゅう鏡の前で生活しているようなものです。自分を育てるのは自分ばかりでなく、人も協力してくれるものとみえます。
芸術などとはかけ離れた生活をしている私ではありますが、
そんなちっぽけな自分の胸の内にも、守り続けている譲れない「玉」があるように感じます!
自分の中心にある「玉」を強く美しく磨き続ける事を忘れない私でありたい!
・・・・・とちっぽけな自分の中の「誇り」を考える機会になりました
ところで、椿の花ことばは、「控えめな優しさ」「誇り」です。
特に赤い色の椿は、「謙虚な美徳」「控えめな素晴らしさ」「気取らない優美さ」
白洲正子さんそのもののように感じました
最近、椿の花がやたらと気になるようになりました
眼鏡ケースも椿です。
私の出身地の五島列島の最北端「宇久島」という所は
椿の木は、家の敷地内でも、野山でも、どこにでもある樹木です
花を摘んで後ろの方から密を吸っていたことも思い出しました
どんな味だったか忘れたけど、おいしかったんでしょう
花が終わったら、かたい実(かたしと呼んでいました)ができ、やがて色が付き、家の近辺の狭い道に落ち
落ちた実は乾燥してはじけて中の黒い種が出てきているという光景を思い出します
この種から、椿油が作られます!
うちの母は、椿の葉饅頭を作っておりました
最近の私にとって椿は、故郷や母を思い出させる花です
素朴に生き、弱りながらも、寝込むことなく椿の花のようにポロリと落ちていくように旅立った母は椿のような人だったなあとしみじみと思います