今思えば、旦那も私も、実家の親も妹も、みんな車があるのだから、車のカーナビでテレビを見たら良かったじゃない?と思う。

でも、誰一人そこまで頭がまわらなかった。

とりあえず非日常の恐怖に、得体の知れない恐怖に気持ちだけは負けないように頑張った気がする。

後に、ガソリン不足で大変な事になるわけなので、車でテレビ見なくてある意味正解だったのだけど。

そもそも、テレビの電波がどうなってたのかも分からないけど。

実家には母がご飯を作るときに聞いている、小さいラジオがあった。

ラジオを聞いていてもなんだか分からない。

とりあえずラジオ局も混乱しているみたい。

この時点ではまだ、わたしの住んでる地域にしか地震がないと思っていたから。

津波とか、原子力発電所とか、考えもしてなかった。

一夜あけてもまだ大揺れだった。

混乱のまま、1日を過ごす。

とにかく、大きな揺れが怖い。

気持ちをしっかり持たねば。

旦那の実家にも行き、無事なのを確認。

アパートに戻って、必要な物だけ持って、また実家へ。

たった車で10数分の距離が1時間以上かかってしまった。

2日目の早朝、ようやく電気が復活。この地域ではだいぶ早い方の復活だったらしい。

テレビを見て…驚いた。

映画のような津波…流される町…人…

わたしの住む地域は山々に囲まれているから、こんなの想像もしてなかった。

怖すぎて泣くに泣けない。

言葉も出ない。

あの恐怖は、忘れられない。

息子は9年たった今でも、緊急地震速報の音に、びくついて、とんでくる。
怖いと言って、腕に掴まってくる。

日常生活に戻ったのは、それから随分後のこと。

放射能の影響で福島の野菜が給食に出なくなり、福島福島とやたら騒ぎたてる親が出てきたり。

ここぞとばかりに、原子力発電所の事を責め立てる人もいた。

チェルノブイリだとか…魚食べれない、野菜食べれない、福島の子供をいじめるとか。

ちょっと、信じられないよね。