いろんなことがあって生きてきたけど


今もいろんなこと悩んで生きてるけど


例えば昔の自分に会えたとして

「頑張って生きて。頑張ってたらいつか報われるよ。」とか「いまは耐えて。」とか

きっと言わないだろう。


むしろ「よく頑張ってる。もういいよ。」と言ってしまうかもしれない。



昔、よく言われた。

「頑張ってたらいつかいい事あるよ。今だけだから。」


私は この先どうしよう、とかこのままずっと続いたら、とか そんなの考えてなくて


ただ、"今”が辛いだけ。先のことなんかどうだってよくて

明日さえ生きてるか分からない状況で、未来なんて考えてる余裕はなくて


昔の私はただ、「逃げていいんだよ」って言って欲しくて


だから16になった時、誰も言ってくれないその言葉を

私は自分にかけたんだ。


自分で自分を守るしかないから。


生きていたのは、先の未来に楽しみがあるとか いつかは、とか

そんなんじゃなくて


運よく生きてきただけ。


運が悪ければ消えてただけ。それだけ。



子供の頃、たまにしか乗らない母の車に乗ると、何度も事故にあった。


母親からはあんたのせい、あんたがくるとこんなことばっかり、と怒られた。


私のせいだろうか?運転してるのは母だし私は後ろに乗っていただけ。


でも母にとって私は そういう存在なのだろう。


何度事故にあっても、轢かれても 危ない目にあっても 生きているのは運が良かっただけ。



今が幸せじゃないとかそういう訳じゃない。

今は幸せなのだろう。昔のように家族のことを考える時間は減ったし悩みがあってもなんとか生きてる。

でも昔の自分に会えても、同じ状況の人に会っても

"頑張れ”とは言えないだろう。



大人になって分かったのは

自分になかった物を持っている人は多いし、

明るく見えても本当のところは分からないということ

私も本当のことは隠して接していること

一度負った傷は消えないし傷跡として残ること


ずっと自分に自信を持てなくて 暗くなりがちだし、それが辛い時もある

外見は磨けばいい、メイクしたり、大して周りは気にしないだろう。

でも内面は?いつまでも悲観的で、直したくても直らない。

誰かと、自分に傷つけられてきた人生は、軽くなくて ずっと重荷を背負って踏ん張って生きてるかのようだ。


だからたまに分からなくなる。


もういいよと言ったのに、あれから家族と離れて暮らしているのに

周りの話とかニュースとか あらゆる物から引っ張られて

せっかく閉じた扉を 無理やり開かれているように感じる。


一人では生きられない。

だから仕方ない。


そうやって割り切ろうと頑張っても、どんどん重しを乗せられていってるような


苦い味だ。





朝からしんみりしてしまった。

今日は月曜だっていうのに。