21年秋にあるセミナーに参加した。

 

ザ・シークレットという本(映画にもなってる)にも出てくる人が講師で

モニターとしてご本人からセラピーもしてもらった。

 

でも当時の私には感動も学びも感じられず

むしろとても嫌な思い出にしかならず

結局あれがきっかけでもう何かを追いかけるのはやめにしようと思った。

もう学びはやめると思えたのがこの講座の意味だったんだ

と思うようにしてたくらいだった。

 

数日前

その講座の勉強会ってのがオンラインであるからと

お誘いメールが来たので参加してみた。

 

あの日の講師が出版した本を

日本語に翻訳した人が話をしたり

他の参加者の質問に答えたりしてるのを

ぼーっと聞いてたんだけど

そしたら

あの時あのセミナーに対して

私はものすごい不満を持っていたことを思い出し

不満を持っていた自分を認めることができた。

 

不満だったのはわかってたけれど

不満に思うのはお門違いだと思ってた。

 

今回の内容は当時の講座の内容となんら変わらず

文字通り復習会で勉強会だった。

 

21年秋に受けたから2年経ったんだね・・・

 

2年してやっと

あの時英語で話されたことを

今日本語で聞いてようやくようやく

「聞けるように」なったんだと思う。

 

来月も勉強会は続くらしいので

できたらまた参加してみようと思います。

 

お金を払って何かを買うとか習うとかということは

必ずそれをモノにしなくては〜という気持ちが強い。

そういう固定観念で

そういう縛りの中で生きてきた。

だけどできてないw

だからせっかく何かを学ぶことがあっても

ものすごいストレスになってしまってた。

せっかく学んだのにモノにできてないから

学んだこと自体をダメだったとレッテルを貼ってたんだな。

 

最近

土器作りや🧹を作ったりもしてる中で

何かを得るためではなく

誰かに何かできるようになるのでもなく

体験することが楽しい!

そう思えるようになってきた。

 

同じこと学んだり同じところへ行って

自分より何かを学んだり

何かを感じたりしてる人がいる

人と自分を比べてたのもあると思う。

 

箒だって土器だって

自分は作るのも遅いし

なんだかへたっぴだし・・・

ちょっと凹む瞬間もあった。

 

でも作ってみたくて作れた

やてみたいと思ってやれたことが

嬉しいし

その環境を作ってくれたみなさんに

感謝だし

そう思えたりもする。

 

 

 

 

一番でなくてもいいし

一番ビリでもいいし

 

自分が感じられることは

他の人が感じることも

きっと

同じなんてことは一つもなんだろうから

 

その人の中で

完結するっていうか

統合されるっていうか

理解されるっていうか

腑に落ちるっていうか

なんとなくあああとかも含めて

自分の中で

まあるくなっていればいいのかもしれない。

 

なんなら

まあるくなってないと感じてても

いいのかもしれない。

きっと

感じられてなくても

まあるいんだろうから。

 

 

他人から見て

もしくは自分自身においても

「やってみた?それが何?」ってことでも

「やってみたくてやってみた」それでいいんかも

 

何も得なくてもいいかなって・・・

なんか最近はそんなことを思ったりしております。

 

 

そういえば

このブログを始めた頃に見た

プラスとマイナスは同じだけある

っていうイメージ・・・

今回の勉強会の中でも似たような話があった。

 

きっと

あれは真実なんだろう。



 

頭で理解できなくても

細胞が理解してるから

その場にいるだけで意味がある

ってよくいうけれど

 

もしかしたら

あのイメージが降りてきたのは

あの日嫌だった講座に参加したからかもしれない。

 

いろんな人が

手を変え品を変え

伝えようとしてくれてる真実を

何かしら得るタイミングを

ちゃんと自分に設定できてるのかもなぁ。

 

そうやって自分を信頼すると

やっぱり

 

やりたいと思ったことをやってみる

 

それに尽きるのかもしれないな。

 

 

 


 

 

それにしても寒い…

 

午後からも株がんばろーっと🎵