先般NETニュースには、
2020年8月31日COVIT-19により、
鬼籍に入ったと目にした!

 その瞬間、47~48年前の小学生5年生の
わたくし当時へ記憶が飛ぶから不思議だ!

 

 ”ミラクル・メッツ”とか、
”大投手トム・シーバー投手”
とか前評判は凄まじく、
今の様にNETもSNSもない時代の大昔の御話である!

 大リーガーがなんであるのか、
全くもってわからん時代で、
大リーグ=日本プロ野球は勝てない
と云うなんの根拠もない先入観しかない当時のわたくし。

 そんな基礎知識も何にもないわたくしには、
一縷の情報として、METS来日の情報で
桜木町読売プレイガイド(今はない)へチケット2枚を買いに行った覚えがある。

 確か、並んで買った記憶が・・。

 亡父と2人分で、 日曜日の後楽園球場(ビックエッグじゃない
我が「読売・巨人軍 対 ニュー・ヨーク メッツ」の試合だった、 

 が

 理由は忘れたが、
 日曜の試合は荒天だったかで流れ、翌日月曜日へ延期となり、
焦りに焦った記憶がいまだに、よみがえる。

 ※ 当時日本には、ドームは存在しませんでした。
   アメリカにも、アストロドームとか云う 
  説明するまでもなく雨天関係ないドームがあると
  半世紀前には、信じがたい噂程度には聞いていたが・・・!

  国力の違い、文化の違いは歴然と・・!

 試合も延期されたが、 一緒に往くはずであった父
平日月曜日ということもあり、当然仕事で、
伯父と選手交代し、 小学生であったわたくしは、
急病と云う事で、さっそく後楽園球場へワクワク感満載で馳せ参じる!

 急遽、棚ボタ的に起用された伯父は、
子供ながらに観ても、嬉しさにうわずっており、
わたくしなどは、飲み放題(勿論酒でなし)、食べ放題の天国を
このとき体験したのである!

 当時横浜在住で、
大洋ホエルズ本拠地川崎球場まで往くのでさえ
勇気がいったものだったが、
大都会水道橋「後楽園球場」までは、
まさに大冒険な独り旅立ったような気がする!

 HSPなわたくしでも、ワクワクして
馳せ参じた御幼少の頃もあったのかと思うと、
如何に、 当時、野球と云うものが好きだったのかと・・。

 ワクワク感にはHSP気質も退けるものかと
今更ながら偉大な偉人先達のエネルギーには
驚かされる!



 まして、当時V9達成していた
我らが巨人軍が迎え撃つのだ!



 我らが英雄、
長嶋茂雄氏、王貞治氏とオールスターがいたが、
このMETS来日の年、
長嶋茂雄さんは、奇しくも後楽園球場にて、
引退したばかりの初々しさ???

 出番は、勿論、三塁コーチャーズ・ボックスにての
スターティングメンバーで、わたくしは恨めしく
長嶋さんの背中を見守るばかりであったが、
コーチ-らしからぬ、その存在感にはしびれっぱなしな小学生でした。

 
 さすが、川上哲治監督の粋なはからいで
なぜか、選手登録してない長嶋さんが急遽
コーチャーズ・ボックスにいる長嶋さんを指名打者という奇跡が!

 小学校サボったかいがあった!泣けてくるではないか!

 亡き父の言葉を借りれば
後楽園球場内、ヤンヤの声援!
 
 前評判高かったトム・シーバー投手であったかどうかは
記憶にないが、長嶋さんは見事な凡打
それでも観客はやはり、やんやの声援で、
まさにお祭り騒ぎであったことは、遠い記憶にある。

 世界中探しても、長嶋さんの様に凡打でも
マウンド上と云う舞台で見事に歌舞ける方も
いないのではないか・・! 


 何をやっても様になるとはこのことかな。

 それにしても、当時のわたくしにとって、US・Baseballがなんであったのか、
TV・ラジオI(いわゆるメディア)では知る由もなく、
黒船の様な存在であり魔人の様でイメージであった大リーガー体験記は、
後にも先にもこれきりである。

 今の息子世代には、全く無縁の世界時代である!

 ワクワクさせていただきました
 TOM-SAN、 R.I.P! ご冥福をお祈りします、合掌!