今月初めに無事、青森での講演を終えてきました。意外にも場内は満席で驚きました。講演中に寝ている人がいなかったのも大きな支えでした :-[

僕は特に執筆活動もしていませんし、メディアに登場して精神医学とはなんぞや、とかいうことも、ましてやお悩み相談のラジオ番組も持っていません。ただ人と会って話しを聴き、アドバイスや必要とされる環境を用意して患者さんの手助けをしているだけですから講演はイレギュラーで、正直精神的にはかなり堪えます :-〈


行きの飛行機の中で読んだ新聞に僕の好きな絵本が日本語に翻訳されて、最近人気だと書かれていました。

シェル・シルヴァスタインさんの『The Giving Tree』は日本語では『おおきな木』と翻訳されていますが、翻訳したのは村上春樹さんとのこと。もちろん、青森についてすぐに本屋に行って買いました。


あるところに大きなリンゴの木があり、木には仲の良い少年がいました。少年はいつも木の側にいて共に過ごしますが、少年は成長して木から遠ざかって行きます。幸せな時間はあっという間に過ぎてしまう。

ある日すっかり青年に成長したかつての少年がやってきて、お金が必要なんだと語りかけてきました。リンゴの木はあるだけのリンゴを町で売るよう勧め、その後も青年にあるだけのものを与え続け、やがて枝やその幹まで与え、切り株だけになってしまった。

与える物がなくなった木のところに、やがてかつての少年であり、青年だった老人が現れた。だが疲れ果てた彼は何も要求してこない。何もいらないという彼にかつてのリンゴの木は「じゃあ、私にお座りよ」と勧める。


僕のオフィスには愛が欲しいと涙する人も来ますが、愛を与えたいんだと悩み苦しむ人も来ます。そして何も欲しくないんだと心を閉ざした人もきます。

多すぎても少なすぎても傷付き、その先には存在さえ否定され、愛という存在は難しい存在です。

10月の1・2・3・4日に青森の大学で講演をする事になりました。

青森は僕の母の出身地です。そして宮沢賢治や太宰治の出身地です。

人生では確か五回目くらいの訪問だったはずですが、いつも急ぎの旅で奥入瀬渓流と十和田湖を観る位でほとんど観光したことがありません。

今回は1日時間が空いているのであちこち廻りたいと思っています。


賢次の代表作『雨にも負けず・・・』は英訳されてアメリカでも出版されていますが、僕は原作の日本語で覚えました。今でも暗唱できます。

散歩中に知らず知らず口にしていることもあります。そうすると背中が伸びて胸を張って歩きたくなります。“そういう人に私はなりたい”と終わりを迎えますが、どういう人間として生きたいのか自ずと見えてきます。


秋になると感傷的になってしまいますが、だからこそ自分と正面から向かい合えます。

今夜は早く帰ってボロボロになった賢次の詩集をまた読み返そうと思います。



日本時間の明日、9月25日に僕は30歳になる。ここ数年はあっという間に1年が過ぎて、1日の長さの感覚は変わらないのに1年という単位はあっという間に過ぎているように感じる。


友人からmailで朝日新聞の今年4月の記事のコピーが届いた。記事を全文書くわけにはいかないだろうが一部だけ紹介したい。

“彼と暮らし始めたのは34歳の時。すぐ、家事がダメな人だとわかった。 -それでも子供のような無邪気さにひかれた。直径18センチある私のお手製ケーキを、おいしいからと1人で丸々食べたのには驚いたけれど。

 -彼の母が亡くなったのは、そのころ。 -彼は、親族みんなに私のこと告げていたわけではない。葬儀には、友人としてしか参列できなかった。 私、-男です。 -「夫婦みたいな生活」を始めて10年目。老後が気になる年齢になってきた。 結婚という道がない。 -でもいまの私は満たされている。会社の同僚もみんな知っている。「仲良しでいいですね」。男女を問わず、そう言ってくれる人がたくさんいる。”


僕と同居人は7年を過ぎた。結婚を意識したことはないが未来を思い描くこともない。互いに何かあればという備えだけが唯一公式に認められるものだが、それもどうにかしようとすれば無効にできる。僕らが法的に『家族』ではないからだ。

僕らの関係に多くは望まない。今あるだけの幸せで満足しているから。誕生日は2人で家で過ごすつもりだ。