小学生の高学年の時の話である。
俺は、ある日いきなり両親にスイミングスクールに通いたいと切りだした。
あまりよく覚えていないのだが、おそらく中学に入る前にしっかり泳げるようになりたかったのだろう。
当時、スイミングスクールは一番近い所でも市バスに乗って30分ほどかかる場所にあった。
うちの家は筋金入りの共稼ぎであった為、もちろん母親が同行出来る訳もなく、かといって、一人でバスに
乗って通うには少々不安もあったようで、両親もどうしたものかと考えていたのだが、ご近所さんで、いつも
我が家で井戸端会議をしているメンバーの大山さんの子供が、たまたまそのスイミングに通っており、
「あたしがうちの子と一緒に連れて行ったるさかいに、しんぱいせんでええでぇ~♪」
と言ってくれたので、そのご厚意に甘えることになり、それからしばらくの間 小学校から帰ってから
大山さんのおばちゃんとその子供と俺との3人で市バスに乗って週3回、スイミングに通っていたのである。
そんなある日・・・
その日は朝から、俺の奥歯の様子がおかしかった。若干ぐらぐらしていたのである。
当時の俺は気になりだしたら止まらない性格で、普通ならその日に抜けるレベルじゃない「ぐらぐら度」でも
気になりだしたら ずぅ~~っと指か舌で歯を左右に揺さぶり無理やりにでも抜こうとしていた記憶がある。
学校にいてるあいだ中ずっと左右に揺さぶっていたのだが、なかなか抜けない。
やがてスイミングの時間になり、いつも通り泳いでいたのだが、その間も左右に揺さぶりまくっていた。
しかし、もう少しのところで抜けないのである。そのまま帰宅の途についた俺は、大山さんのおばちゃんと、
その子供と一緒にバス停で帰りの市バスを待っていた。
大山さん 「HIROくん!あんた~! なんか今日えらいおとなしいなぁ~!」
おれ 「う、うん。」
これくらいの年頃の男の子ってこんなんである。愛想がないというか、口下手というか・・・・
女の子と違って あまり自分の事を話さないというか、説明したりしないのである。
大山さん 「しんどいんか?え?大丈夫なんか?しんどいんやったら言いや!!」
「おばちゃんも超能力者ちゃうねんから言わな解かれへんねんで!大丈夫!?」
おれ 「うん。大丈夫。」
そうこうしてるうちに市バスがやって来た。
帰りのバスは比較的空いていて、この日も席はバラバラだが座る事が出来た。
座席に座ってからも俺は奥歯を舌でこねくりまわしていた。
しばらくした その時である。
**俺の心の声**
(歯 やっと抜けそうや!今思いっきり右に倒れたから、次、左にふったら絶対抜けるわ!いったれ~!!
グキッ!! ん?あれ?もうちょっとやのに抜けへん!くそ~!無理やり引き抜いたれ~!!)
俺は舌をうまく使って、強引にほぼ取れかけている奥歯を引き抜いた。
(ブチ!! うっ!)
やっと抜けたのである。俺は歯をポケットに入れてホッとしたと同時に、一人満足げに達成感に包まれていた。
しかし・・・である。
無理やり抜いたからか何か知らんが、血がむちゃくちゃ出ているのが口の中の感覚でわかるのである。
その血を飲み込むのも 「キモい」 と思ってしまった俺は、どんどん口の中に血が溜まっていくのを
ただただ、耐えるしかなくなってしまっていたのである。そのうえ、嫌な血の味が唾液を生んで口の中は
しばらくすると満タン状態になっていたのである。
おまけにアレルギー性鼻炎だった俺は、この日も鼻の通りはよくなかったので、口で息が出来ない今、
詰まりかけの鼻の穴を最大限に広げ、恐ろしく鼻息の荒い呼吸を必死の思いで繰り返していた。
(あ~~~やば~~い!!早く到着してくれへんかなぁ―・・・
口の中もめちゃめちゃ満タンやし息も苦しすぎるやんけ~~(泣))
でも、今思えば鼻が詰まって息が苦しく心に余裕がなかったから、かえってよかったのである。
この状態のまま心に余裕があった日には、おそらく隣のおっさんと目が合っただけで笑ってしまうはずである。
この状態で笑うという事は、バスの中で血しぶきを上げるという事である。
そんな事になったら 大事件である・・・・
ようやく降りる停留所に到着した時には、俺はもうすでに限界を迎えていた。
「さぁーHIROくん!着いたで!降りや~~!」
「あんた、なんちゅう けったいな顔してんの!?吐きそうなんか?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・」
その後 急いで下車し、排水溝のところで処理し、なんとか事なきを得たのである。
しかし、口がきけなかったので当たり前ではあるが、この時点で大山さんに事情を説明出来てなかったので、
いきなり排水溝のところで大量の血を吐きちらしている俺の姿を見て、大山さんは気絶しそうになっていた。
この後、俺は、
「歯 抜けて―――ん」 ・・・と,アホ満開の説明をしたのだが、
「あんた!おばちゃんどんだけビックリしたと思ってんの!!心臓止まるかと思うたわ!!」
と、かなり怒られたのである。
でも冷静に考えれば、俺、特にこれと言って何にも悪い事していないのである。
しかし空気の読める子供だった俺は、その場は黙って怒られる事にしたのである。
人間、心配してもらってるうちが花である。
その後、なにかと面倒くさくなり スイミングは辞めたのである。