①蛋白尿と②低アルブミン症が現在の診断基準でおおよそ浮腫みを伴うことで発症に気がつく。
体内に蛋白質が足りない状況に陥る。蛋白駄々漏れなので。で、去年久々の再発をしてネットでいろいろ調べて合点がいったこともあるのでそれらを羅列してみる。ちなみに個人の感想なのであしからず。
蛋白が足りない
原因はいろいろあるけれど症状的にはこれが全ての現況のように思える。中にはプレドニンによる副作用にも思える症状も説明はついてしまう場合がある。
例えばプレドニンの副作用の代名詞の易感染症。もちろんプレドニン服用でも免疫力抑制に作用するので感染しやすくなるけれど、蛋白質が足りないことで免疫機構のエースIgGを含め免疫機構の細胞の生産が後回しになるのではないか。実際、つい先日数値で見たが発症当時(プレドニン服用前)でIgGの数値は600ちょいと免疫機構維持ギリギリのラインといわれた。今だから言うけどって。要はIgGもアミノ酸の一種で蛋白質から作られる。蛋白質が減っているということは体そのものの生命維持も危険信号が出てるため免疫機構を捨ててでも生命維持に走ったため免疫力の低下があったと思う。風邪を防いでも死んだら元も子もないからな。
同様にコレステロールの上昇もそう。アルブミンは肝臓で作られるので排出されたアルブミンを補おうと肝臓がフル稼働する。その過程で一緒にコレステロールも作ってしまうのだとか。アルブミンは作れども作れども排出されるがコレステロールは排出されないのでどんどん血中にたまっていくのだと思う。これもまた蛋白質の減少に起因している。
そして今回先生からはっきり言われたのは浮腫みも筋肉を減少させるというもの。おそらく体細胞中の水分が筋肉の分解を促すのではないかと思う。筋肉も蛋白質だからね。使用してない筋肉はどんどん減反されるのだけどその効果が浮腫みで増長するのではないだろうか。そもそも、筋肉で脂肪や栄養が燃えると水分ができる。そのため水を保水しやすいので圧迫とかしているのかもしれない。それがつりやすいという原因なのかも。水分が酸素の行き来を阻害してるとか。
そもそもむくみも血中蛋白が減るために体細胞との浸透圧の差で体細胞内に水分が残りやすくなり浮腫む模様。体中ある程度浮腫むと浮腫みはお腹とか肺に行くので浮腫みは結構放置すると危ない。というか24年前は腹水は本当に辛かった。それでも点滴して水分をとるものだから腹水の改善には時間がかかった。24年前は本当に治療方針がふらふらしてたなぁと思う。
と、全ての元凶は蛋白質の減少?
かなぁ。まぁ診断基準が蛋白質の排出だからね。ほぼ間違いないでしょ。
これで厄介なのは対策としては蛋白尿の改善くらいしかないという点。摂っても摂っても出ちゃうからね。24年前はアルブミンの点滴をずっとしてたけど数値は全く改善されず苦しいばかりだった。安静にした分、多少蛋白尿は治まったりもしたけど焼け石に水。結局個人的には蛋白尿が+4とか大量に出た場合、プレドニンを含めて薬剤による治療しかないと思う。今のところ。12年前は+3まで行ったけどおそらく+3の初日に病院へいけてコメリアンをすぐに処方してもらったのは大きかったと思う。半年以上かかったけどプレドニンなしで寛解までいけたのは今でも奇跡だと思ってる。今はその選択肢はないな。それなら免疫抑制剤をお願いするかも。その時の状況によるけど。
いずれにしても蛋白尿の放置は地味な症状ではあるけど全身に関わるのでなるべく早く対処したり医療機関のコントロール下に置かれるのが一番だと思う。おそらく発症時が一番免疫力がなさそうなので感染症の重篤かとかそういう関連が危ない。今回の再発も3ヶ月ほど+4で放置してしまったけど今思うと風邪の季節だったりしたので肺炎とかにならなくてよかったなぁとつくづく思う。なってたら今はない。
治療が辛く長い
他の難病や病気と違って治療は薬を飲み始めたら非常にじみで効果がわかりにくい。だからとても油断しやすいし、努力が報われているかもわかりにくい。さらにその努力も報われないことも多々ある。極端な話だけど、プレドニン減量しただけで身体がストレス状態になって再発することもありえる。結構寛解中は自由だけど繊細でもある。そのスイッチは人それぞれ違うからそのスイッチ探しも大変だ。
変化が少ないのも本当に大変で、自分も大変だけど、周りの目もすごく心を削る。実際、ネフローゼは身体の芯のスタミナを削る。たんぱく質という生命で重要な栄養素を削ってくるからだ。その回復には結構時間がかかる。俺の場合、少しニュアンスが違うけど、24年前に削られたお尻の筋肉はいまだ回復していない。なので座ると痛い。このように、一度なくしたものを回復するには相当の時間要して、その不便さも同様に時間がかかるのだけど、如何せん見た目が元気になるためわかりにくい。なので、一番近くで見ているはずの家族でさえ気がつかなくなってしまい、不用意な言葉にさらされて不信感を持って居場所を見失ったりもしてしまう。で、全部自分でやろうとして余計に無理するんだよね。
このあたりのわからなさに対してはもうどこかで線を引いて諦める方が気分は楽になる。家族は一番最初に出会う他人であり家族であるとはよく言ったものでそれを実感する。どういっても伝わらないのなら自分が引いたほうが丸く収まる。そしてこの自分が引いたほうが丸く収まるは社会のいたるところで起きる。大変だけど、これはもう個人ではどうしようもないことだ。誰か有名な人がネフローゼになってテレビで大声で叫んでもらうしかない。難病の方の多くはこのように大勢が知らないというだけで本当に辛い思いをしているのだろうと思う。
と、こういう事を経験すると、わりといろいろと許容範囲が広がってやさしくなれる。それは自信のある優しさなので他人に伝わりやすい。恐らくこうして優しくなると心から優しくなると思う。だからこそ厳しくもなれるしね。
それはネフローゼの治療をがんばっている人に対するご褒美だと思う。そんなところが嫌になる人もいるかもしれないけど、多分このポイントはプラスのポイントだと思うなぁ。優しさは損をすることがあるけれどそれを補って余りある何かがあると思う。
まとめがすごくずれた気がするけど今日はこれまで!