備忘録その1『貴京姫』|平将門伝説|御門(千葉県市川市大野町) 本光寺 | はひふへ本光寺のブログ|千葉県市川市にある日蓮宗のお寺|本光寺公式

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平成22年(2010年)、動画CM「はひふへ本光寺」にあわせて、ブランドメッセージ「お寺は笑顔になれる場所」を掲げました。

こんにちは。
本光寺がある市川市大野町には平将門伝説というのがあります。

正直なことを言いますと、私は将門伝説には詳しくありません。
なので、これから、いろいろと勉強をする意味でアメブロに記録を残していこうと思っています。

今日は、その1回目の備忘録です。

本光寺では第34世日住上人の時代から約50年間、毎月に立て続けている卒塔婆があります。(この50年という数字は、私が知りうる限りの年数です。もしかしたら、もっと昔からご供養されているのかもしれません。)

「南無妙法蓮華経 為 本光寺古佛 貴京姫之霊位 深達罪福相 遍照於十方 文」という卒塔婆です。

最近、「貴京姫」とは「桔梗姫」のことなのかと考え始めています。


「桔梗姫」とは、平将門について密告した女性です。その密告により、将門は滅ぼされたのです。

つまり、桔梗姫は罪を犯してしまったのです。でも、何故に本光寺が彼女の罪を消すために、約50年間、供養し続けてきたのか?

本光寺古佛とあるように、本光寺の土地に住んでいたとか、何か御縁が深いことは確かです。御縁のある本光寺が施主になり、桔梗姫の供養を続けてきたのです。

しかし、なぜに、「貴京姫」なのか?本当は「桔梗姫」でなく「貴京姫」なのか?

本光寺を創建した日胤上人は、市川市中山の浄光院も創建しています。市川市中山というと、日蓮宗の大本山の法華経寺があります。法華経寺は桔梗紋を使用しています。

大野町には、桔梗姫の影響により、桔梗は植えてはいけないという戒めがあります
この戒めを守るということは、桔梗紋の法華経寺を忌み嫌うことにつながるのです。

なので、桔梗姫を供養しなければならないと発願した本光寺の歴代上人が、法華経寺との良い関係を保たせるために、「貴京姫」と名前を変えて供養しているものと推察します。

市川よみうり連載企画「四季・折り折りのくらし」という記事がネットにございましたので、掲載させていただきます。
 
■§平将門ゆかりの地を求めて§■

市川よみうり連載企画「四季・折り折りのくらし」より

平将門(たいらのまさかど)といえば、平安時代の中頃、時の朝廷に抗い、関東を支配下に治めていった武将として知られる。しかし、自らを「新皇」と名乗り、朝敵と見なされたため、討ち滅ぼされてしまったのだが、討ち死にした日が、天慶三(九四〇)年二月十四日のことと伝えられている。
市川には、この将門ゆかりの場所が多くある。
一月二十日に市指定民俗文化財「にらめっこおびしゃ」が行われる大野町四丁目の「駒形大神社」=写真(1)=も、将門ゆかりの地の一つである。
その昔、駒形大神社の南の台地上にある日蓮宗法蓮寺の住職の夢枕に、騎馬武者が三人現れ、「我らを祀れば、この土地の守護神になるぞ」と言ってかき消えた。翌朝、境内には、蹄の跡が残されており、跡を辿ってみると、林の中に消えていた。檀家(だんか)衆を集めて相談したところ、「それはきっと将門さまに違いない」ということになり、足跡の消えた辺りに作られたのが駒形大神社の始まりだという(『市川の伝承民話』より)。
駒形大神社のご神体は、白馬に乗った若武者像である。駒形大神社にはまた、恨みをもって亡くなった魂を鎮める「御霊神社」も合祀されており、そこにも、将門の姿をだぶらせてみることができる。
大野町に将門伝承が遺されているのは、法蓮寺の台地から谷を隔てた南側の高台に、将門の出城があったとされるためである。現在の市川五中の辺りを「城山」と呼ぶのがそれである。校舎の裏に将門=写真(2)=にまつわるとされる祠も祀られている。
校庭の向かいの高台に建つ「天満天神社」も、将門が勧請したという伝承を持つ。毎月二十四日がおこもりで、二月二十四日も、昼頃から地元「御門」(三丁目の古い呼称)の女性たちが集まるという。
大野町一帯には、今でも、「将門は俵藤太秀郷という武将に、南天の木で作った弓矢で射殺されたから、南天の木を植えてはいけない」とか、「将門は桔梗姫という女性の密告によって滅ぼされたから、桔梗は植えてはいけない」とか、「成田山新勝寺は将門調伏祈願のために建てられた寺なので、お参りにはいかない」などの戒めが、まことしやかに伝えられているのである。
これに対して、菅野には、将門と敵対した朝廷側の伝承が伝えられている。
菅野には、都から遣われた菅野道信という侍が館を構え、将門と戦っていたという伝承がある。菅野の妻は、夫を助けようと、一人で将門の元へ近寄り、御代の前という側室となった。御代の前によって、将門の内情が伝えられたため、将門を討ち取ることができた。しかし、心の晴れない菅野夫妻は、仏門に帰依して、将門の菩提を弔った。二人の心根を憐れんで、二人が庵を構えた辺りに祀られたのが、菅野の京成リブレの隣りにある「御代の院」=写真(3)=の始まりだという。
三月二十七日には、菅野の不動院の住職同席のもと、「御代の院まつり」が行われる。
この菅野の「不動院」には、新勝寺と一木で作られた不動尊が安置されたという伝承も残されている。
このほか、市役所の前の「八幡の藪知らず」は、平貞盛が、将門討伐のため陣を敷いたところだとか、将門の七人の影武者の霊が消えていったところだとかされ、入ってはならない場所とされている。
また、大和田の兜大神社は、将門が逃れる途中に兜を落とした場所だという伝承もある。
現在、市川公民館では、将門の命日に因んで、「平将門伝説~将門誕滅伝説と将門ゆかりの祭り~」が、二十七日まで開催されている。
また、三月十九日に須和田の六所神社で「須和田・国分街回遊展」の一環として開催される「市川の民話のつどい」では、すがの会による「平将門と御代の院」の紙芝居の上演が、予定されている。 
(2005年2月18日)
 
写真(1)
 
写真(2)
 
写真(3)


 

いつもお読みいただきありがとうございます。

 

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 〒272-0805

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