難病ALS患者の日本酒蔵九代目(予定)の日々 -4ページ目

食と酒

食と酒はセットのものと思っています。


食はそれだけでもいい。実際お酒を飲めない人もいっぱいいるし、でも酒を加えることで味も楽しみもいっそう広がります。


先日、信州のジビエ料理の第一人者でもあるエスポワールの藤木徳彦シェフと会う機会があり、お会いしてきました。


私はもちろん初めてお会いしました。


藤木さんは若くとても情熱的な印象でした。料理のこと、まちづくりのこと、ジビエのことなど多くのこと沢山話してくださいました。


私はやっぱり商売上、料理と日本酒のはなしに興味が集中しました。その中で印象に残ったはなしがありました。


お酒はその時代の食文化にあったものを醸造しているんだというはなしです。


これはワインなどさまざまなビンテージがあります。時間を重ねて今もわたしたちの時代ですばらしい時間を与えてくれています。でも、そのワインは造られた時代の料理にあった造りをしているわけです。


すべてがそういうわけではないと思いますが、実際に醸造技術も変わってきているし食文化も変化しています。。

日本酒なんかはその土地の料理にあったお酒の味です。諏訪なんかも佃煮とか煮物なんていう味の濃いものが多いところだったから濃醇な味のものが多かったそうです。海の近くだったら刺身とか魚にあった端麗のものとか、そんな感じです。


で、現代はどうなんだろ?ということ。

現代はどの国の料理も食べること出来るし、家庭料理も昔とはぜんぜん違う。個人的には味の濃いもの、肉料理が多いように感じる。私も肉が大好き。

そうなってくると肉や味の濃い料理に負けないで口の中をすっきりさせてくれるものとか、さらに旨味をひきだしてくれるものが必要になってくる気がしました。あとはまた個人的にですが酸味がしっかりと感じられるもの。これは前の話ぬきに考えて、自分が好きだから。でも、感情はぬきにしても酸がしっかりしているものだったら酒の味に厚みもでるし、料理のあと口をすっきりさせて次の食べ物がくる準備もととのえてくれるから、食事もお酒もすすむものになると思ってます。


こうして考えると食とお酒はやっぱりセットだったんだな~と感じざるえないです。


逆にお酒だけで楽しめるような吟醸酒が世に登場できたのも時代の流れであり、酒造技術の向上だと考えさせられます。

あれから。。

お久しぶりです。


ここのとこブログの更新を休んでいました。見に来てくれていたみなさん、ごめんなさい。


諏訪地方に起こった災害から一週間がたちました。


諏訪で被害の大きかった飲み屋街はまだ片付けに追われたいる光景がみられます。


そして、消毒のにおいや汚水が乾いたなんともいえない匂いもたっています。


それでも今日は久しぶりに青い空を拝むことができました。



自然災害

記録的な豪雨のため諏訪の街の機能はストップしてしまいました。


幸いなことにうちのところは浸水などの被害はまったくありませんでした。


しかし、すぐ近くの地区では床上浸水したりしました。裏の山では崖崩れがおきて避難勧告をだされる地区もでました。


うちの前を通っている国道20号にいたっては道が水没したり、土砂崩れがあったりして通行止め。


八時間以上同じトラックがうちの前に止まっています・・。中にはあきらめてUターンするトラックも。


諏訪湖は溢れてます。


隣の岡谷では全国ニュースでも流れていましたが鉄砲水と土石流のために多くの民家が流され、死者もでました。


あの地域は知り合いも何人か住んでいたのであせりましたが、みんな無事でした。


非難を余儀なくされている方も多くいます。また明日雨が降るとの予報があるがこれ以上の被害がでないことを祈るのみです。



心配してご連絡をくださったみなさんありがとうございました。

この場を借りてお礼申上げます。

今年最初の

今日は七夕でしたね。星空


諏訪は天気もよく空は晴れていました。


近くの町内では七夕祭りが開かれてにぎわっていました。チョキ


そして今日は諏訪湖で花火がほんの数分間だけあがりました!!打ち上げ花火打ち上げ花火


毎年のことだけどいつ見ても最高です!!


今年初の打ち上げ花火でした。



以前、友達と諏訪湖を上から眺めれる公園にいったときに花火は上から見たらどんな風にみえんだろ??

と話したことありました。


昔そんなようなタイトルの邦画ありましたが、実際見たらどう見えるんだろ?

夏の蔵

夜の仕込み蔵です。


夏の間はひっそりと静まり返っています。


あと少しでまたにぎやかになるよ。                                              





無事終了!

昨日は日本酒を楽しむ会を麗人酒造さんでやってきました。


当日、開始時間が近づくにつれてお客さんがぞくぞくと集まってきました。


今回は麗人さんはビールも醸造しているので、ウェルカムドリンクとして諏訪浪漫ビールを到着したお客さんに出しました。


初のこころみですが、これはなかなかよかったです。さすがはリーダー。


ビールを造っている蔵は諏訪では麗人さんのみだったのでさらによかった!!ビール


そして会ははじまり、麗人、京都の酒と続き料理も好評のうちに中盤へと向かいます。


そこで麗人の社長さんからサプライズな一品!!


20年純米古酒の登場!! 


熟成酒を古くから取り組んでいる麗人酒造さんならではの一品です。


20年、昭和60年醸造ですよ。昭和のお酒なんてそうめったに飲めないですよ!!


色は琥珀色。香はもう老香とかそういったものではなくなってます。


日本酒とはまた別のものって感じでした。(笑)


でも、とてもやさしい感じで食事に合いそうなものでした。


興味のある方は蔵元まで・・・。


で、会はまだまだ続き、今回は俳句を詠みます。


お酒ははいっていてもみなさんどんどんと一句でてくるのですね~~。。


いい作品が次々と飛び出しました。発表すると歓声がおこり盛り上がりもよかったです。


こんな感じでイベントが盛り沢山の日本酒を楽しむ会でした。


お客さんも楽しんでくれたみたいでとても嬉しいです。


今度は二ヶ月後の九月です。

明日は・・。

酒の会です。


でも、自分のとこのではなくお隣さんです。


ここに毎回登場する諏訪サプリが二ヶ月に一回開催しているものです。


今回は麗人さんと京都の酒です。


麗人さん4種類、京都のお酒が3種類でこのほかにもサプライズなお酒もだしてくれるそう・・・。


楽しみ。


けど、私はスタッフ側だから無理かも・・。(泣)

漬け粕

今年の夏は暑くなりそうですね。晴れ


諏訪も今日はうだるよな暑さで、かなりまいっていました。あせる


夏のこのくらいの季節になりますと酒かすの出荷が近づいてきます。


冬のときはしぼったばかりの板粕をだしてますが、それをつけこんだ漬け粕がこれから出荷です。


うちは大体が毎年決まっているお得意様への出荷なのでまだタンクに詰めたままですが、早いところはそろそろ袋詰めなどにしてスーパーなどに出しているんじゃないでしょうか?


この漬け粕を袋に詰める作業がまた手間のかかる作業なんですわ。汗


でも、ウリをつけて奈良漬にするとおいしいですよ。音譜


うちの粕は地元では評判いいです。


うれしいことです。

日本酒を楽しむ会

前回に諏訪の酒屋の歴史を書きました。(前にも書きましたが違うとこもあると思います。すいません)


それに関連して。


今度私が顔を出させてもらっている、諏訪サプリという、街を楽しもうよ!! ということで活動をしている集まりがありましてそこで日本酒を楽しむ会をやります。


この会は数回やっているのですが、今回はお隣の麗人酒造さんにて開催をします。


そしてなぜ歴史と関連するかといいますと、今麗人さんがあるところに河合曾良の母の生家があったそうです。そして曾良はそこで幼少を過ごしました。


河合曾良は松尾芭蕉の門人十哲の一人です。近くの正願寺というお寺にお墓と遺品があります。


そういったことで今回の日本酒を楽しむ会 IN 麗人酒造ではそのことも触れることになっております。


会の途中では俳句を参加者のみなさんに考えてもらって後日発表します。


また、京都のお酒も三つほど用意します。


ポスターです。


詳しくはこちらでhttp://www.suwasupply.com/p/


諏訪の酒屋

前回うちの蔵が250年目ということを書きました。


ちょうどそういった年であったのでこの辺の酒屋の歴史はどんなだったんだろ~?と思い少し調べてみました。(簡単に調べたので、間違いもあると思います。)


ここは甲州街道沿いであり、この辺一体は上諏訪宿といわれていたようであります。


当時の酒屋の力は強く城下町の中心的な存在であったようです。


そしてこの場所は今でも造り酒屋密集地帯として有名?ではありますが江戸時代の天明8年(1788)当時の記録によりますと13軒、酒を造っている家があったようです。 当時は酒株といったもの、酒造りの免許をもったものが酒をつくることが認められていました。


当時の高島藩はその酒株を十三株に限定し、酒造は城下町上諏訪町のみで許可し手厚く保護したそうです。


その酒株も何人もの手をわたり歩きました。そして、明治4年には酒株も廃止されて、鑑札さえうけていれば誰でも醸造ができるようになりました。

しかし、年々酒税が値上げされ多くが転廃業をよきなくされたようです。


そして大正13年頃には13もあった上諏訪の造り酒屋は9になり、その後太平洋戦争のときに統制、規制、また原材料、人員の不足により、廃止される蔵もありました。


そして戦後、廃止された蔵も復活するものもありました。


その後、現在まで廃業もありつつ今の五つの造り酒屋が残ったそうです。