「あの厳しかった先生、覚えてる?」
母が突然、言ってきた。
厳しかった先生はけっこういたので、どの先生かと思っていたら、ピアノの先生のことだった。
小学3年生からピアノの先生を変えた。
真剣に音大に行きたかったから。
手のかたちが良くないと、手の甲を定規でパンッとされ、お家までの道で一頻り泣いてから、「ただいまー!」と元気に帰っていた。
お家に帰ってからも、ひたすら練習した。
結局は手が小さくて諦めたピアノ科だったけれど、無理とわかっても、あの時に最後の最後まで一生懸命に自分と闘ったことは財産と思っている。
母が突然、ピアノの先生の話を出したのは、連日の報道を見ていたからだったらしい。
「よく、泣いて帰って来たもんね」
また、突然、言って来た。
確か、泣きながら帰ったことはなかったはずなのだけれど......?!
「なんで知ってるの?」
思わず口をついて出てしまった。
「わかるわよ。お目目が真っ赤だし、お手手に赤い痕があったしね」
「なんで、何も言わなかったの?」
「だって、さえちゃんが言わなかったし、お休みもしなかったし、ピアノが大好きだったしね」
このような会話が出来る大切な過去の記憶がある。
もっとも、そのピアノの先生があまりに厳しくて、お友達はどんどん辞めてしまって、残っていたのは私だけだったから、もしかしたら良くない指導方だったのかもしれないけれ
ど、私自身はその厳しさが好きだったし、「音大に入れよう」と必死になってくれた先生には、今も感謝しかないです。
「先生と一緒に歩いた道の先を叶えられなくてごめんなさい」
今もそういう気持ちでいます。
師弟関係とはそういうものだと思っています。