ありきたりのタイトルかもしれませんが、私のフィルターで思ったことを綴らせていただきます。
「ワクワクする」とか「ポジティヴになる」とか、「前向き」とか「いつも笑って」とか……。
そういう気持だったり環境でいられたらそれはもちろん“幸せ”です。
私のフィルターですと、
「凹んでいる」とか「ネガティブになっちゃった」とか、「過去を気にしちゃった」とか「怒るっちゃった、泣いちゃった」――そいういうことも“幸せ”に一部と思えます。
だって、人間ですから、喜怒哀楽があって当然で、その感情を素直に出せるということ自体が幸せと思っています。
現代に生きて、笑っていられる時ばかりではないですし、時には無理して笑顔にならなくてはいけない時はありますし、泣いている姿を見せられない時もありますしね。
あと、これは本当に経験済みのことなのですが、
人って、かなりのショッキングなことに出くわしてしまったり身にふりかかると、喜怒哀楽を失くすんです。
ショックな場面ですから、泣いたり怒ったりしたいのに、その気持ちにもなれなんですね。
涙も出なければ、どんなに酷いことを言われても怒りの感情も沸いてこないんです。
かろうじて出来たのは、「愛そう笑い」。
心配してくれている人や支えてくれてた人に向けて笑顔はつくれましたね……人から見ても自分の中でも哀しい笑顔だったと思いますが……。
ですから、「幸せとは」
感情面では、時に怒れて泣けて、楽しい時には本当に笑うことができて、嬉しい時には素直に喜べる――そういうことだと思えます。
後は、これも良く言われていることだと思いますが、日々を過ごしている中で当たり前のルーティンがあること。
いつのもルーティーンが出来るということは、昨日と変わりなく過ごせていることだから。
私もそうですけれど、「いつもと同じ」だとそれが本当に当たり前で「幸せなんだ」って思えないことはに非情茶飯事ですけれど、ふと、このことを思うと、「幸せなんだよね」って思えます。
もっともっと高いところを目指している時、いつもの生活の中で当たり前と思っているルーティ―ンだけでは物足りない気持ちもありますし、違うことをしないとという気持をありますけれど、
この「当たり前のルーティーン」がないことには、高いところを目指すことはどうかな……難しい気がしますね。
お仕事とかでは、新しいことを始めたり、高い目標に向かっている時には「いつもと同じ」では駄目だと思いますけれど、その土台(基本)になっているのが、日常の当たり前すぎて気に留めることが少ないかもしれないルーティーンだと思います。
健康とか人と人と交流とか。
「ワクワクする」とか「前向きになる」とかは「幸せになるための方法」で、その為には、喜怒哀楽を持てることであり、その使い方や表現の方法や場所を知っているこだと思います。
「幸せとは」
素直に自分の感情を出せる場所があり、人がいて、
何かをしてもらえる人ではなく、何かをして差し上げることが出来る人でいられ、
「今日も良い一日だった」と思いながら寝ることが出来、
「最悪だった」と思って寝ても、次の朝がドンヨリした気持ちでも、誰かの顔を見たら笑えたとか、
そういう他愛ない事が本当の幸せだと思います。
その他愛ない幸せがたくさんあると、ワクワクできたり前向きになれたり、時に過去を振り返っても良い景色に映っていたりするのだと思っています。
だから、いつもいつも「当たり前のことが幸せだ」と思わなくともよいので、意識の何処かにそれを置いておくと、大抵のことは乗り切れ、いつの間にか笑っています。
怒っても泣いてもいいし、後悔してもいいし……そのうち笑えたら、それが幸せとも思います。
今、隣にいる人を大切に。
今をこうしていられることをお時間を大切に。
どのような感情の中でも、人を落とすのではなく、自分が幸せな気持ちになることに努めたなら、待っているのが「幸せ」です。
あのショッキングで喜怒哀楽を一年もなくしていた私がいますが、こうして笑っています。
そのことを皆様に伝えることが出来ています。
人間って弱いと言われますが、けっこう強いんですよね。
「幸せになるため」に頑張ることももちろん必要ですが、それ以上に、「幸せとは」を意識すると、観える世界が変わってきますね。
待っているのが、
「幸せ」
です。