毎年、この月になると、本当に辛かった。
父が突然、他界したのが、11月10日。
すごくすごく大好きな父だからね。
今でも、一番、尊敬出来る人。
つい20分前まで談笑していたはずなんだ。
だから、ずっと父の死を受け入れることが出来ずにいて、実家へ帰ると、いつも〝あの”場所に父が笑っている姿が未だにある。
父が逝ってから、父がいないと、な~んに出来ない母の変わりに色々な手続きを済ませて、一段落してから、執筆拠点の北海道へ半年も逃避行したりね。
荒れたな……あの時。
今年ね。
もう七回忌なんだ。
「いろんなことがあったよ」って、胸を張って笑って言えるかな。
とにかく、何をするにもハンパじゃなく凄い父だから、「まだまだっ!」って言われそうだな。
お説教の時は、「男っていうものはな!」が最初につくんだ。
わたくしは、女でございます!
今年は、ちゃんと胸張って行けると思うよ。
ここ数日、お知らせさせていただいている新刊を持ってね、「頑張ったよ」って。
今度の日曜日は、七回忌の法要。
一応なんだけれど、一区切りだね。
「忙しいを理由にするな」とか、「結果が全てじゃない」とか。
父が逝った後で、特に胸に残る言葉。
あの年も、かなり多忙で、あまり父と話す時間がなかった。
今でも、父のことを話す時は、現在系になっていることが多い。
「事実を事実として受け止める」
これ、ライターの時の本城がいつも、思い続けて、言い続けていること。
ノンフィクションやドキュメンタリー作家の時の本城もそうだね。
アメリカ同時多発テロで大切な人を失ったのと、父が逝ったのが、ほぼ同時期で、それから、作家名を変えて、小説も作風を変えた。
(実は、デビューは20才の頃でファンタジーだったり^^カミングアウト)
人を亡くすということは、もう二度と会えないことというのは頭では判っていることでも、事実として受け入れるには、本当に時間がかかるものと、実感として判ったのも、あれから。
忘れることは出来ないのは事実。
〝風化”させてはいけないのも事実。
でも、〝ここにいない”ことも事実。
ちゃんと、受け止めないとね。
今日は『文化の日』。
父が愛した〝文化”を、後世に伝えることも、父の血を受け継いだ私の使命。
だからね。
今年は、新刊を持って、笑って父に会いに行くの。
父のことを思い出して、哀しい涙するのは、この日記を書いている今でサヨナラ。
同じ涙するなら、ただ哀しいんじゃなくて、素敵な思い出話に花を咲かせながら、〝楽しかったあの頃”のことを思い出しての涙の方がずっといいね。
出来たら、母とね。
なんか、ダラダラと支離滅裂だね。
「今度の日曜日は、哀しい涙なしで会いに行くね、パパ。」
これ、言いたかったんだ。

