わたしの家庭ですが、

 

普通ではありません、

 

異常までは行かないが、

 

三人兄弟の長男として生まれてきた、

 

生れたて初めて自宅に連れらて帰った家はこの間、

 

おかんの記憶を頼って、

 

四十数年ぷりに帰ってきました。

 

そもそもこの「ルーツ探し」の旅を提案したのがわたしでした。

 

おかんの年が取っていくと、

 

昔のことをよく口にする癖がありながら、

 

いつも正確さが欠けてると我々子ともから日頃指摘を受けています。

 

確かに支離滅裂の物語に聞こえる、

 

時には「なぜ?」、「どうして?」、「何のため?」など我々の質問に対して、

 

答えられなかった。

 

結局「知らなかった」、「知ろうと思いませんでした」、

 

「教えてもらえなかったから」というフレーズで、

 

おかんをはじめ、

 

わたしの家系に関して、

 

今でもイマイチわからない、誰にも説明できませんまんま生きてきた。

 

おかんの知ってる範囲にゼロから探ってみて、

 

一人の香港人歴史を整理するような感じで、

 

自叙伝まで仕上げればいいかなと思って、

 

この計画に踏み切った

 

 

この世に生まれて、

 

おかんとわたしの過ごした最初の数年は『荔枝角』でした。

 

香港の九龍半島の奥側にある山谷、

 

「長坑村」という村でした。(家は下記地図の赤い矢印のどころ)

 

「ルーツ探し」旅のカギとなる一枚の写真は上記の左側です。

 

一見は家族の集合写真ですが、

 

中にはおかんとわたしも映っていません。

 

しかも、まったく会ったこともない人たちだそうです、

 

知ってるがおじいちゃんとおばあちゃんのみです。

 

話を聞くと、

 

この一枚は60年前ぐらい取った可能性があります。

 

ちなみに、後列のメガネをかけてる男性はおじいちゃん、

 

その隣はおばあちゃんです。

 

おかんはその時にまだ香港に来ていません。

 

そうです。おかんは中国内陸から呼ばれて来たわけです。

 

あれ!おかしいと思わない?

 

おじいちゃんとおばあちゃんの子供なのに、

 

なぜ中国内陸にいる?

 

そこから波乱万丈のおかんの人生の始まりだそうです。

 

この自叙伝企画を通して、

 

調べたり、探ったり機会が与えられて、

 

少しずつ整理しながら、皆さんにご紹介したいと思います。

 

 

そして、「ルーツ探し」旅で見つかった当時の家はまだ健在で、

 

当日撮った一枚と約60年前撮ったものと比較してみてください。

 

家の形はほぼ変わってないとおかんが言ってた、

 

そして、背景になる金山郊野公園の山ですが、

 

輪郭も一致していますね。

 

まさか、赤ちゃん時代のわたしが山の中腹に育てられたか感慨深かった。

 

おかんがその場でしばらく立ち止まって、

 

様々な思いを浮かび上がりながら、交差して、

 

まるでダムが決壊したように聞いたこともないエピソードが口にしました。

 

一緒に思い出場所に行けて、みつかってよかったです。

 

香港魂公式サイト:http://hongkongsoul.blogspot.hk/