あったかい…
午後の陽射しが、春の訪れを告げている。
柔らかな光に顔を向けると、まるで大きな手の平で優しく包まれているよう。
時を600年以上遡り、高麗の地で一年を過ごした。
ひとりの武士と恋もした。
幾度も危険な目にあい、その度に助けられ、ある時は命を救った。
だが、今は離ればなれだ。
それも、100年という時を隔てて…
今日みたいにあったかな風が吹いてて、白が混ざったコバルトブルー色の空だった
天涯…、あなた、そう云ってたわ
☆☆☆
「おだやかねぇ〜」
「ええ」
「おっ💡 この間教わった“麗らか”だっけ? こういう感じかしら?」
「そう、ですね」
心ここにあらず…といった返答は、いつものチェ・ヨンらしくない。
空なんか見上げてさ、もしかして感傷にふけちゃってるとか?
「ちょっとサイコ、あなたうわの空(上の空)だわ」
つい、口をついてでた言葉に、チェ・ヨンが真顔で振り返る。
「イムジャ、彼の地(天界)は、天涯よりもさらに遠いのでしょうか?」
「てんがい? うわの空が?」
「貴女がいた “未来” という場所です。いつぞや、この空に続いている、と」
「ああ〜。空ってさ、どんな時だって存在し続けてる。過去も未来もズーッと」
ここは彼女にとって “天涯” にも等しいはずなのに、“笑顔の魔法” とやらを浮かべながら言葉を続ける。
「“過去” の積み重なりが “今” で、“今” は “未来” に繋がるんだって考えれば、時空が違って会えない人たちも、この空の下のどこかに必ずいるはずよ。寂しくなんかない、だってみんな同じ空の下にいるんだもの」
貴女は、どれだけの想いを抱えているのか…
「天涯比隣という言葉を?」
「てんがい、ひりん?」
「唐の時代、王勃(おうぼつ)という詩人が、遠方の地に赴任する友にあてて詠んだ詩の一節に、”海内在知己、天涯若比隣" というくだりが」
「あ”〜また四文字熟語でちゃった。しかもダブルで(苦笑)せっかくだから一応聞くけど、それ、どういう意味なの?」
口の端をクイッと上げほくそ笑む仕草は、いつものチェ・ヨンだ。
「海内(かいだい=天下)知己(=友)を存すれば、天涯も比隣(ひりん=近隣)の若し」と読み、その意味は、心が通い合ってさえいれば、たとえ天の果てにいようとも、すぐ近くにいるのと同じことだ、という」
「ははぁ〜ん、つまり、天涯くらい遠く離れちゃっても、心と心は繋がってるんだってことね」
「ええ、同じ空の下にあるかぎり、たとえどんなに遠く離れようとも」
「そう、なんだ」
☆☆☆
「ねえチェ・ヨンさん、わたし達同じ空を見てるのかしら」
天を仰ぐように上を向き、呟いてみる。
無論、応えなど返ってこないのは承知だ。
だが…
一羽の蝶が空を飛び、開いたばかりの小花に舞い降りる。
まるで、待ちに待った逢瀬を楽しむかのように…
やわらかな春の陽射しを浴びたウンスの顔に、満面の笑みが広がった。
もしも、もしもよ、天門が開いてソウルに戻ることになっても…あなたはそう思える? 寂しくなんかないって…
イムジャ…貴女が天門をくぐったら、心が千切れるほど苦しいに違いない
それでも、その想いを抱え、この空の下で生きてゆく
再び、貴女とめぐり合うために
あの時、ウンスが口に出来なかった問いかけに応えるかのように、何処からともなくチェ・ヨンの声が聞こえてきたのだ。
そうよ
心が寄り添ってさえいれば、天涯もなんのそのだわ!!!
待ってて…天涯を比隣に変えてみせる
必ず、あなたのいる場所に戻るから
春うらら。ふたりの再開まで、後残すところ数ヶ月…
終わります
最後に、四方山話をちょっとだけ。
金庸の『笑傲江湖/スウォーズマン』@2000年のドラマ、エンディングで流れてきたのが「天涯」(曲は中島みゆき「タケの歌」のカバーらしい)を、主演の任賢齊(リッチー・レン)が担当。この時、天涯=空の果てという認識が。
未見ですが、台湾版『神鵰剣俠』でも、主役でオープニング曲「任逍遥」を。
良い意味でクセのある任賢齊の歌唱ですが、年末と春節の番組で、成毅(チョン・イー)がこの2曲をステージ歌唱(゚ロ゚屮)屮
え”? 任賢齊が唄ってた曲だよね??? と「天涯」「任逍遥」共にクレジット再確認状態に(爆)
けど任賢齊と成毅、180°くらいアレンジ&イメージ違うような(爆)
でもね、どっちも好きなんです♥️