護軍チェ・ヨン、臨津江の氾濫で家畑を失った民の救済を命ずる。兵二百と共に、至急楊州に向かい、牧使と相談のうえ早期解決せよ」

「小臣チェ・ヨン。しかと賜りました」

「安政への道のりは平坦ではあるまい。長くなるやもしれぬ。すまぬな」

 

共に生きると誓った女人を待ち、一年が過ぎようとしている。失いかけた命を、その女人(ひと)が流す涙にも似た慈雨が繋ぎ、開京に戻ってからは彼の地を取り戻すための準備に邁進してきた。ユ・インウ(柳仁雨)の重たい尻をむずかせて、ようやっと王に上申をしたばかりだ。

 

一致団結、全力で取り組んで…恐らくはひと月

 

それ以上遅れるわけにはゆかない。あとふた月ほどで鴨緑江が凍る。出兵の好機を逃せば、雪解けまでの半年を待つことになるのだ。

 

「チョナ、于達赤十二名の帯同を、どうかお許しくださいますよう」

 

北伐の際、于達赤テジャンとなったチュンソクを都に残すという約束のもと、チェ・ヨンは翌早朝、開京を発った。

 

 

☆☆☆

 

霖旱(りんかん)を支配する龍神が里山に現れたという。大雨を降らせ、川沿いの村は飲み込まれ、山間の村は崖崩に埋もれてしまった。

 

五つの村が離散して、それこそ身一つで逃げのびた民達は半数にも満たなかった。しかしながら、楊州牧の蓄えは十日も持たずに底をついたという。

 

臨津江と漢江という水脈を担う二つの河川が溢れ、陸路までもが寸断された今、楊州は陸の孤島と化していたからだ。


 

 

水かさの増した臨津江には濃い霧が立ちこめ、峠道は土砂で埋まり、進軍するのも困難を極る。

 

「ホグン 思っていた以上の悪路です。この分だと物資隊の到着がだいぶ遅れるかと」

「チュンソク、荷を分けろ。于達赤の馬十三騎に積めるだけ積んで運ぶ」

「…しかし、それでは」

「隊を二班に分け、山と川の両方から荷馬車が通れるように整備だ」

「はっ、このチュンソクが後送隊をまとめ、必ずや三日後に合流を」

 

 

☆☆☆

 

于達赤達が夜を徹して荷を乗せた馬を引き、徒歩で役所に現れたのは翌日の日が傾いた頃。運んできた米はすぐに粥となり、餓えた民の身体を温めた。

 

ここ数日ろくに眠れていないのだろう。出迎えた牧使は疲労困憊の体。それでもチェ・ヨン以下十三名の兵達へのねぎらいに、たっぷりと湯を用意してくれたのはありがたかった。

 

桶一杯の湯で汗と泥を洗い落とし、皆が雑魚寝する中、チェ・ヨンはある場所が気になってチュホンを走らせる。目指すは山間の民の間で ”龍淵(りゅうえん)” と呼ばれている沼地だ。

 

そこは、昨年の夏、薄荷を摘みにウンスと江華島に向かっていたおり、二頭の馬に水を飲ませていると、その女人(ひと)がある野草の根をほじくり始めた場所。

 

 

☆☆☆

 

 

『地面が湿っている故、足を滑らせて落ちぬよう気を…』

『ふぅ〜。やっと抜けた。これ、シコン(紫根)ていうんだけど、カワイらしい花に比べて根が太くて立派なのよ。見て、この赤紫色をした根っこ』

 

うれしそうに顔をほころばせながら、チェ・ヨンの目の前にその根をもたげて見せている。

 

『この根がスゴいの。解熱、解毒はもちろん、トウキ(当帰)とあわせると切り傷に効く軟膏ができちゃう。夏の間はそこいら中の山に咲いてるから、あなたも覚えておくと、意外なところで役に立ってくれるって思うわけよ』

 

そして、その女人(ひと)の口から思いもよらない言葉が飛び出した。

 

『ねえ、ここ、龍淵って呼ばれてるのよね? 龍が冬眠するにはさ、ちょっと小さすぎない?』

『古来からの言い伝えでは、龍になる前のミズチとも(※)ただ、民にとっては…』

 

春の頃、田の土を起こして水を引き、秋の頃、稲穂が実れば水を干す。

龍神は、稲を育てるために目を覚まし、収穫を前にして淵に潜む。

 

『ここが水田の水源だからではないかと』

『へえ〜…そういうことなんだ。てっきりどこかに龍神が隠れてるんじゃないかって…

ビクビクして損しちゃった』

 

イムジャ、見つけましたよ

あの時の場所です

そして、たった一輪だが、紫根もその白い花を散らさずにいてくれた

まるで、俺が来るのを知っていたかのように…

 

 

この根を煮出してツバキで灰汁練りっていうのをすれば、絹を紫色に染められるんですって

やってみようか

 

ともすれば忘れがちになる希望を、その女人(ひと)はチェ・ヨンに思い起こさせた。逆境にあっても、それを繋ぐことの大切さを自ら知らしめた。

 

ユ・ウンスという女人が、心に植え付けた根が、また一つ新たに芽吹いた瞬間、チェ・ヨンの顔にゆっくりと笑みが広がっていった。

 

大丈夫よ

きっとうまくいくわ

 

 

 

終わり

 

 

 

※ 劉備が張飛をなだめて言った「身を屈して、分を守り、天の時を待つ。蛟龍(ミズチのこと)の淵にひそむは昇らんがためである」という言葉、「今は苦しくても身を隠すようにじっと待つべきだ。さすれば天下をとる好機が必ず訪れる」っていう意味かと。ここではそこからムリクリ転じて、竜神は田んぼで稲が育つのを司る神獣っていう設定にしています

 

秋に食べたくなる食べ物は?

 

新米、イガグリ、サンマ、キノコ、美味しいトリッパ ❤︎

 

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