杏林にはペクトゥ(白頭)という美しい虎がいる

その堂々とした体軀は山を思わせ

大きくて尖った牙は岩をも砕き

硬い爪は頑丈で鷹よりも鋭い

 

病が治って杏の苗を植えてゆく人

満開の花を愛でに訪れる人

たわわに実った果実と穀物を交換する人

 

魔が差して悪さを働いた者達を懲らしめ

杏林を守るのが役目である

 

 

 

パタパタと廊下を行き来する音がする。

患者が運ばれたのだろうか…

 

「止血を急ぎましょう」

「お願いしますっ」

 

男の医員と女人の付き添いの声がして、チェ・ヨンはふとした違和感に襲われる。

たった二言の会話が、妙に引っかかるのだ。

何故だ

 

幸いなことに、手足が動くようになっている。

わけを探ろうとして布団から起き上がると、肺の奥がチクチクと痛む。

…まだ本調子とはいえぬな

 

チェ・ヨンは結跏趺坐を組むと、仙骨を立て背筋を伸ばし、運気調息で滞った "気” を整え始めた。

       

 

そうか…声だ

怪我人が運び込まれたなら、あの方が駆けつけぬわけがない

 

調息の終いに、最後の息を深く吐ききって閉じていた目をゆっくりと開けると、屋敷の気配を隅々まで探ってみる。

ところが、突然チェ・ヨンの目の前に現れたのは、山のように大きくて美しい一頭の虎だ。

 

赤月隊にいた頃、一度だけ虎に遭遇したことがあるが、その時の猛獣とはまったく違う。

獲物を求めて彷徨うのでは決して無く、堂々とした威厳さえ備わっている。

 

あの方が話されていた、ペクトゥなのか?

もしや、俺を運んでくれたのも…お主なのか

 

「ペクトゥ、か?」

 

声に出すと、そうだ、というように虎の目が細まった。

 

「某はチェ・ヨンと申す。本貫は江原道鉄原…」

昨夜までは己の名前すら言えなかったが…

すらすらと出自が口をつく。無くしていた記憶を取り戻したのだ。

 

「チェ・ヨンと申すのか。思いだしたのはすっかりと良くなった証しじゃ。

わたしの調薬は捨てたものではないぞ。

顔色が少々戻らぬようじゃが…肺が痛むか?」

 

一人の男が虎の背を撫でながら、声をかけてきた。

 

「この杏林は貴殿の…」

「気付けにな、杏仁を少々。ちと入れすぎたか…」

 

年の頃は不惑より幾分若く見える。

チャン・ビンに似ている気もするが、話し方や雰囲気などは、あの方によく…

それに、杏林に虎とは…よもや董奉か?

 

拙いな…気がついたか

しかしこの者…武官だろうに、女人よりも美しく、随分と書物に親しんでおるようじゃ 

 

董奉は華佗、張仲景と並び立ち "建安の三神医” とも呼ばれている。

重い病人は五株、軽い病人は一株と、貧しい患者からは治療費の代わりに杏の苗を受け取ったという。

 

華佗を、その弟子でもいい。天界にゆき、王妃の命を繋ぐ医員を探し出し、必ずや連れて戻れ。

そう王名を賜り、躊躇うことなく天門に入った。

目を開けていられないほどの光の束と、息もつけないほどの落下に身を任せ…チェ・ヨンは、この杏林に辿り着いた、そういうことなのだろう。

 

ならば…この方をお連れせねばならぬのか

ここは、俺が目指すべき天界とやらなのだろうか

 

 

 

最終回へと続く

 

 

 

やっと虎も登場し、終わりが見えてきました!

ペクトゥ、どうやら人よりもズッと大きいらしい?!?!