※この一つ前に  “The Rose”  partⅠ をアップしてます 
 
 
 
1979年 ソウル@初日
 

足に結わえた短剣を手に空き家に潜り込む。

この一年近くで、暗闇も短剣の使い方にも随分と慣れたものだ。

 

あっちの夜はもっと暗かったわ

 

江華島でチェ・ヨンに怒鳴られ、つい言い返した時のことがふと頭に浮かんでくる。

 

『確かめろ、ですって?!

こんなに真っ暗で、雨がザーザー降ってて…

いったいどうやって確かめろって? 

わかるように教えてよ!』

 

すると、はぁ〜というあからさまなため息が聞こえてきて…

 

『…兎に角、注意深く気配を聞きわけることです。そうすれば敵か味方かがわかるというもの』

『ムリよ…そんなこと。出来るわけ無いもの』

 

肩を落とすと、そこに大きな手が置かれ、「出来ます」という優しい声が返ってきた。

生きる意志を手放そうとしていた男(ひと)が、激しい雨の中何人もの追っ手を倒し、こうして自分達を守ってくれている。大きくてあたたかな手のぬくもりが嬉しくて、胸が熱くなった。

 

いつだってふたことめには、貴女は隙だらけだって…

 

チェ・ヨン

今、あなたに教えられたことが役にたってる

 

あるのはその男(ひと)から護身用にと渡された短剣ひとつだけ。

着の身着のままでこっちの世界に来てしまった。

考えることは山のようにある。

飛び虫の解毒をしなければならない。

そして、天門が再び開くまでの間、どうやって生きのびていけばいいのか…

 

台所に転がっていたマッチ箱を見つけ、火を灯す。

家具と呼べるものは何一つないが、鍋や釜などはそのままだ。

 

上出来よ

 

日が昇れば、まわりの状況も把握できるだろう。

床に座ると袖から湿った新聞を取りだして、破らないよう注意深く広げてみる。

 

日付けは1979年6月18日

…生まれて2か月の赤ん坊よわたし

アッパやオンマに “あなた達のひとり娘のウンスです。ちょっとした事情があってタイムワープしてきました” なんていったって信じてもらえないわね

…オンマは今のわたしよりずっと若いしさ

他に知り合いなんて一人も…

 

まって! 

ハラボジとハルモニ ひらめき電球

大母山の登山口から、確かそう遠くなかったはずだわ

ここからなら歩いて行ゆける距離よ

 

 

☆☆☆

 

いつの間にか、壁にもたれて眠ってしまった。

 

「チェ・ヨンっ!」

 

ウンスは夢にうなされて目が覚める。

悲鳴を上げて飛び起きるほど、それは苦しい夢だった。

 

 

『テマナ、このまま行くよ。叔母上にそう伝えてくれ』

 

チェ尚宮からの文は、おそらく良くない知らせだ。

顔色を失った男(ひと)に、「戻ろう」のひと言がどうしても言いだせず、旅は続いた。

夜中、チェ・ヨンが胡座を組み運気調息をするようになったのは、その日以降だ。

声をかけることを決して許さない…そんな背中を、ただ見つめることしか出来なかった。

 

 

その晩…珍しくチェ・ヨンが酒を口にした。天門のある村まであと僅かだから、と。

朝目覚めると、その男(ひと)の姿が消えていた。

嫌な予感がして、直ぐさま後を追った。

初めての道を、何度も転びそうになりながら、それでもウンスは走ることを止めなかった。

そうして辿り着いた部屋でウンスが目にしたのは…

 

 

夢を見ながら、泣いていた。

 

あなた、雷功が暴走し始めていたのに…黙って堪えて…

わたしの所為よ

あなたに、心から “都に戻ろう” って言えなかったわたしの…

 

どんなに悔やんでも、悔やみきれない。

しかし、今となっては前に進むしか道は残されていないのだ。

例え1%でも可能性がある限り…

 

だから、空が白みはじめるとすぐに行動を開始する。

目指すは大母山近くにある祖父母の暮らす家。

 

 

ウンスの足なら小一時間程で到着できるはずだったが…もう二時間近く歩き通しだ。

やはり方向を間違えたのだろうか。

行ったり来たりを繰り返すが、見えてくるはずの家の門が、何処にも見当たらない。

記憶にある場所には、ちょうど見頃の路地バラが咲いている。

 

 

ここいら辺りのはずなのに、あるのはバラの生垣よ

右に行くと大母山の山道って看板はちゃんと立ってるのに

ヘンだわ…

 

「もし、お嬢さん? どうされました?」

 

品のいい老婦人が声をかけてきた。

グリーンのエプロンを掛け、手にはぶ厚いガーデングローブをはめている。

バラの世話をしていたのだろう。

 

「あの、知り合いの家を探していて…」

「間違ってたらごめんなさい。あなた、ユご夫婦のご親戚?

いえね、目元が奥さまの方に何となく似ていらっしゃるから…」

「ええ、まあ…」

 

やっぱり、と柔らかな笑顔が返ってくる。

 

「それなら、中でお茶でもどうかしら。パンも焼けた頃ですし、朝食が良いかしらね?

昨日から連れ合いが旅に出ちゃって…

一緒にゆきたかったんだけど、ほら、この子達の世話があるでしょう?

虫がつきやすいから、一日も休めなくて。

こんなおばあちゃんで申し訳ないけど、朝食を付き合ってもらえないかしら」

 

ふと、ウンスの頭の中である考えが頭をもたげる。
それを確かめるためにも、この老婦人の話を聞いてみたいと思った。
 
「わたし、ユ・ウンスっていいます。もう、お腹がペコペコで…」
 
 
 
続く…
 
 
 
既にお気づきの方もいらっしゃるかと思いますが、この話しに登場するウンスは、ヨンと王宮に戻らなかった最初に手帳を書き残したウンス、という設定なので、 “毒を持って毒を制す” ではないという…
 
はてさて、この老婦人はいったい誰なのか
ハラボジとハルモニはどうしちゃったのか
ウンスは無事トビムシの毒を解毒できるのか
そして、高麗のヨンは…
 
一気にまとめなきゃ!!!