「今日もここで寝ることになったの。よろしくね」

 

以前は患者も多かっただろう古びた診療所は、このひと月あまり、里に戻れない時に使うウンスの仮の宿だ。

 

汲み置きの飲み水と一緒に、干し米を流し込むようにして噛む。

なんとも味気ないが、腹の持ちは随分といい。

 

あしたはいったん里に戻ろう

髪も洗いたいし、下着も変えて…それよりも食料の補充が先決ね

ハニさんの様子も気になるしさ

 

手拭いで身体を清め終わると、疲れた身体を床に横たえて目をつむった。

長い一日の終わりに浮かんでくるのはチェ・ヨンの顔だ。

 

「もう寝るね。あなたも休んで」

 

青白い頰にはそぐわない、穏やかな笑みが浮かぶ。

いつまで続けなくてはいけないのか、ウンス自身にも見当すらつかない。

しかし、チェ・ヨンの元に戻るためには、続けてゆくしかない。

 

できるわよ

必ず、やり遂げられるはず…

 

 

 

チチチチ♪ チチチチ♫

 

翌朝のこと、鳥のさえずりで目が覚める。

身支度を調え注意深く外に出ると、抜けるような青空が広がっていて…

 

キレイね…いい一日になるといいな

 

 

力が沸いてくる気がする。

 

リセット成功ね!

 

まるで迷宮に入り込みでもしたように、何度天門をくぐってもこの時代に戻ってきてしまう。

迷宮の連鎖を断ち切るために、気持ちだけでもリセットをかけるのだ。

 

手を上に伸ばし深く深呼吸をすると、一羽の小鳥が、話し掛けでもするようにウンスの視界に入ってきた。

 

 

「青い鳥…珍しい。

ねえ、あなたはいったいどこから来たの?」

 

どこからって…説明するのが難しいんだけど…

それよりもアリアドネのそっくりさん、あなたはなんて名前なの?

 

アリアドネ、ですって?

ギリシャ神話にでてくるアリアドネ?

 

知ってるの? クレタ島のアリアドネよ

ミノタウロスっていう異父姉弟がいるわ

 

…ミノタウロス?

確か、星とか雷光を意味するアステリオスっていう名前があるのに、ミノス王の牛って呼ばれちゃって、テセウスに退治された怪物?

 

わたし達はテーセウスって詠うんだけど、まあテセウスでも良いわ

ところで名無しさん、あなたはどうして毎日あの岩場まで通っているのかしら

オマケに、時々青白い光りにのみ込まれていって…

すぐに出てくるけど、中で何かが起こってるんでしょう?

 

それは、思念で交わす会話とも異なっていたが、ウンスは取り立てて驚きはしなかった。

 

ねえ青い鳥さん、今日の用意もあるしゆっくり話していられないの


またあの岩場に?

 

その前に行くところがあるの

岩場はその後の予定

 

名無しさん、私には羽があるの

ついて行くから、あなたのことを聞かせてくれない?

 

ウンス、ユ・ウンスよ

名無しの鳥さん、よろしくね

 

 

☆☆☆

 

 

アリアドネと共に、再び扉の前にいる。

 

この中にいるのか…

 

確かに人の気配はある。

だが、それは正気が途切れそうなほどに弱い。

兵士が喉を突かれ、息ができなくなったときとまったく同じだ。

 

「どうしたの? 」

 

異変を感じ取ったアリアドネの声を背に、チェ・ヨンはラビュリントスの中を ”気” に向かって走りだした。

 

今助けてやる

間に合ってくれ!

 

 

 

続く

 

 

 

ちょっと短めですが、区切りの良いところで!

各話、サブタイをつけてみました