「今日もここで寝ることになったの。よろしくね」
以前は患者も多かっただろう古びた診療所は、このひと月あまり、里に戻れない時に使うウンスの仮の宿だ。
汲み置きの飲み水と一緒に、干し米を流し込むようにして噛む。
なんとも味気ないが、腹の持ちは随分といい。
あしたはいったん里に戻ろう
髪も洗いたいし、下着も変えて…それよりも食料の補充が先決ね
ハニさんの様子も気になるしさ
手拭いで身体を清め終わると、疲れた身体を床に横たえて目をつむった。
長い一日の終わりに浮かんでくるのはチェ・ヨンの顔だ。
「もう寝るね。あなたも休んで」
青白い頰にはそぐわない、穏やかな笑みが浮かぶ。
いつまで続けなくてはいけないのか、ウンス自身にも見当すらつかない。
しかし、チェ・ヨンの元に戻るためには、続けてゆくしかない。
できるわよ
必ず、やり遂げられるはず…
☆
チチチチ♪ チチチチ♫
翌朝のこと、鳥のさえずりで目が覚める。
身支度を調え注意深く外に出ると、抜けるような青空が広がっていて…
キレイね…いい一日になるといいな
力が沸いてくる気がする。
リセット成功ね!
まるで迷宮に入り込みでもしたように、何度天門をくぐってもこの時代に戻ってきてしまう。
迷宮の連鎖を断ち切るために、気持ちだけでもリセットをかけるのだ。
手を上に伸ばし深く深呼吸をすると、一羽の小鳥が、話し掛けでもするようにウンスの視界に入ってきた。
「青い鳥…珍しい。
ねえ、あなたはいったいどこから来たの?」
どこからって…説明するのが難しいんだけど…
それよりもアリアドネのそっくりさん、あなたはなんて名前なの?
アリアドネ、ですって?
ギリシャ神話にでてくるアリアドネ?
知ってるの? クレタ島のアリアドネよ
ミノタウロスっていう異父姉弟がいるわ
…ミノタウロス?
確か、星とか雷光を意味するアステリオスっていう名前があるのに、ミノス王の牛って呼ばれちゃって、テセウスに退治された怪物?
わたし達はテーセウスって詠うんだけど、まあテセウスでも良いわ
ところで名無しさん、あなたはどうして毎日あの岩場まで通っているのかしら
オマケに、時々青白い光りにのみ込まれていって…
すぐに出てくるけど、中で何かが起こってるんでしょう?
それは、思念で交わす会話とも異なっていたが、ウンスは取り立てて驚きはしなかった。
ねえ青い鳥さん、今日の用意もあるしゆっくり話していられないの
またあの岩場に?
その前に行くところがあるの
岩場はその後の予定
名無しさん、私には羽があるの
ついて行くから、あなたのことを聞かせてくれない?
ウンス、ユ・ウンスよ
名無しの鳥さん、よろしくね
☆☆☆
アリアドネと共に、再び扉の前にいる。
この中にいるのか…
確かに人の気配はある。
だが、それは正気が途切れそうなほどに弱い。
兵士が喉を突かれ、息ができなくなったときとまったく同じだ。
「どうしたの? 」
異変を感じ取ったアリアドネの声を背に、チェ・ヨンはラビュリントスの中を ”気” に向かって走りだした。
今助けてやる
間に合ってくれ!
続く
ちょっと短めですが、区切りの良いところで!
各話、サブタイをつけてみました