話は再び100年前のウンスに戻ります
100年後、ウンスのいる場所は元の領地になっている…
それを知っているウンスは…
そして…
「いいですか?
じゃあどうして皮膚を健康に保つことが大切なのか…
その話しをしましょう
皮膚は外からの刺激や細菌などの感染から私たちを守っているのです
血管を収縮・拡張させたり、汗を出すことで体温を調節し、体から水分が必要以上に蒸発しないよう調整もしてくれています
人間の皮膚は何も言わなくても細菌から私たちを守ってくれますが、その皮膚が傷つくと、皮膚は自分のことで精一杯になって、その下の組織のことを忘れちゃうんです
忘れちゃうとどうなるか…火ぶくれを起こしたり、壊疽状態になったりと、治療がどんどん大変になるんです
ここまで、わかりましたか?
わかった人は手をあげて」
全員の挙手
『ふーん…理解力はあるんだ…
腐っても元は侍医院の医員たちね…』
☆☆☆
ここ数日、ウンスは積極的に運び込まれたケガ人の治療に走り回った
分室としての機能をすっかり失ってしまっているこの侍医院…
漢方医として受けてきた教育は高度なはずなのに…
「中医 人を医し(いやし) 下医 病を医す(いやす)」
かつてチャン侍医が教えてくれた言葉を反芻する
『あのとき…なかなか意識を取り戻さないあの人にイライラして… みかねたチャン先生が教えてくれた言葉…』
西洋の医学にも通じていた
探究心の塊のようだった侍医…
解毒薬を護って命を落とした
毒をもって毒を制すという研究の書を残した
わたしは…先生のおかげで毒と戦って…毒に勝った
だから今ウンスはヨンにもう一度会うためにがんばれるのだ
『この時代にも先生が一人必要ね…
…患者に対しての心配り…
…グノのこと、わたしのミスでしょう?
わたしのせいで、あんなになるまであの子は我慢しなくちゃならなかった…
100年後まで、この場所は元の領地…
だから…ここの人たちにもしっかりと必要なことを叩き込まなきゃって、そう思ったの
勿論わたし自身にも…』
ウンスは医員達に足りない知識と姿勢をセミナー形式で伝えることにしたのだ
☆☆☆
「……で、今話したことから、患者さんにはどう接したらよいのでしょう?」
ウンスは腰に手をあてて、あたりを見回すように尋ねる
目の前に座った医員が「患部に触れる前に手を消毒します そして終わったらまた消毒を」そう答えた
頷きながらウンスは改めて尋ねる「他には?」
『ここ、一番答えてもらいたいところなんだけどな…
まだ仕方ないか…』
「一番肝心なことは、頭から足元まで必ず患者の状態を確認することです
たった一つの小さな傷でもそこから細菌が入れば大変なことになります
だからこそ患者の状態をしっかりと見て、記しておくことが何より大事なんです
では、なぜ記すのでしょう?……」
ドスドスという音が近づいてくると、その場に蒙古の将軍イェグが顔を出した…
「…ちょっと…また?」
「ウンス殿…堪えてください」
ハニが頼み込むように両手を顔の前で合わせる
あの日以降、ウンスの部屋にはこの男からの贈り物が山のように届いていた
ウサギの毛皮でできたケープ、羊の干し肉、貴石を散りばめた宝石などなど…
そのまま突き返せば、次の日は2倍になって戻ってくる…今のところその繰り返しだ
『はあー……
この人早く大草原でも大海原でも、どっちだっていいから…帰ってくれないかな…
親切も度が過ぎるとお節介
お節介が過ぎたら迷惑だってのよ… 』
「医員のみなさん、
俺もこの天女殿の話を聴きにまいった
お邪魔しますよっと」
前の席が埋まっているので仕方なく後ろの空いている場所に陣取り、ウンスの一挙手一投足を見逃すまいと…じいーっと見つめてくる
ちなみに、朝は一番前の席に座り、セミナーが終わるまで食い入るように見つめられた(それに懲りたウンスは、以降医員には前から詰めて座ってもらうように強制命令をくだしたのだ)
だが、場所がほんの少し遠くなっただけ…
「えー、イェグさん
ここは、医員の方に対しての勉強会です
朝も申しましたように、話の内容を理解しようとされない方はお断りです」
ウンスは目線をイェグと合わせない
今からこの男のことは徹底的に無視だ
…江南にいたときから、男からの不躾な視線やあからさまなセクハラには慣れっこだった
それなりの対応の仕方だってわかってる
でも…今この侍医院は蒙古の管理下にある
この男の機嫌一つで握りつぶされるということも…充分に考えられる
『気味が悪い…』ウンスはそう思った
☆☆☆
「ハイ、じゃあ今日はここまでにしましょう」
ウンスは医員に混じってイェグから逃れるように退出すると、ふーっとため息をつく
「ウンス、ため息なんかついてるヒマがあったら働かなくちゃ、ね」
村からの避難者の一人、ヨウルの傷は日増しに良くなっている
弟グノのために水を飲ませたり、薬湯を煎じたり、今朝から忙しく動いているとハニから聞いていた
グノの火傷の状態もだいぶ落ち着いてきている
「天女さま…
あのとき私たちを見つけてくださったから…
馬を譲っていただけたから…
グノもわたしも生きていられます
それで…あの時の馬、誰にも見つからないところにグノが隠したんです
自由に草が食べられるところだから…
お返ししなきゃって、ずっと気になってて…」
ホン家から譲り受けた牝馬…
…今、馬があれば…
あれからあの場所を訪れることが叶わないでいる…
『夕餉の前…ほんのちょっと…それくらいなら大丈夫よね…』
そう思うと、もういても立ってもいられなくなった…
ウンスは外套を身に纏うとヨウルから教わった場所へと急いだ
丘を上がり、なだらかな小道を行くと小川が流れている
小さな水車小屋の脇で、馬はおとなしく草を食べていた
「元気だった?
これからいつものところへひとっ走りしてもらえる?」
鬣を撫でながら話しかけると、やさしい瞳が見つめ返してくる
ウンスは馬に跨がると、あの樹の元へと走り出していた