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結構前にちらっと書いた話の続き。
この時に書いたように、長女の保育園で同じクラスのお友達のママさんも、私と同じ不妊治療クリニックに通っていました。
お迎えの時間があまり一緒にならないので、あまり直接話す機会はなかったのですが
前のブログに書いたときから半年くらいしてから、たまたま保育園で会った時
「あの後、ちょっと疲れちゃって今は治療をお休みしてるんです」
と教えてくれました。
その後、特に治療について話すこともなく私は無事に妊娠することになったのですが、
前も書いたっけな…?とにかく私は流産や死産が怖すぎて、妊娠していること自体をあまり自分から人に言わないようにしていました。
そんなこともあって、保育園関係の人たちには特に誰にも言わず。保育園に入るときはわざわざマタニティマークも外していました。
妊娠する前は、授かったら報告しようと思っていたのだけど、そんな気持ちになれなかった。
そんなこんなで、彼女に妊娠報告しないまま時は流れ。
さすがに妊娠後期からはお迎え時に会ったママさんたちには気付かれていたので、知らない間にママさんネットワークで伝わったみたいで久しく会ってなかったママさんが知ってたことも。
産休に入ってから、長女のお迎え時間を早く変えたので例のママさんにたまたま会いました。
会うなり「予定日いつなんですかー?」と声をかけられました。彼女もわりと情報通なので誰かから私の妊娠を聞いていたのかもしれないし、それか私の見た目から瞬時に悟って聞いてきたのかもしれない。
もし前者だとしたら、いろいろ思うところはあったとしても、あらかじめ心の準備ができたと思う。
もし後者だとしたら、彼女が内心どんな気持ちだったのか想像すると少し辛くなる。私だったら間違いなくショックを受けるはずだから。
予定日だとか性別だとかの話をひととおりしたあと、彼女は笑ってこう言いました。
「私は結局、あの後治療お休みしたままもうやめちゃいました」
笑っていたのだけど、それがどういう感情なのかは想像してもしきれない。
同じクリニックで、同じ時期に(おそらく治療のステップは違ったと思うけれど)治療をしていた者同士
ひとりは願いが叶い、ひとりは願いを諦めた。
こればっかりは体質とか確率論的な運とかの要素なので、努力ではどうしようもないところがある。だからこそ残酷な世の中だと思う。
二人目を諦めたことと関係あるのかわからないけれど、その直後に引越すことにしたらしい。同じエリア内の引越しだから、保育園もそのまま同じなんだけど。
「結婚してそのまま住んでいた家が手狭になったから」という理由だそう。
おそらく子どもがひとりか、ふたりか、できっと引越し先の選択肢は変わっただろう。ふたりになる可能性があるからしばらく引っ越せずにいたけど、ひとりで確定させたから心置きなく引越し先を決められた、、、という可能性があるのかも、、、と勝手に想像してしまった。
たぶん彼女は私と同じか少し上の年齢だと思う。だとしたら、私だってこのくらいが諦めどきだと考えていた。
いろいろ考えた挙句の結論なんだろう、これは想像に難くない。
小さいころ流行った、プロフィール帳にあった質問
「子どもは○人ほしいな」の○を埋める欄、
あの頃は願えば叶うと思っていたけど、現実はそんなことはなかった。
子どもを持とうとすることが、こんなに難しいなんて。
娘たちが大きくなったら、伝えられることは伝えたいな。