先日、認知症の母、恵子さんを

介護する娘さんの、

ドキュメント番組を拝見した。




(少し長い記事です)


娘さんは、脳科学者の

恩蔵絢子さん。

母、恵子さんは、65歳の時、

若年性アルツハイマー型認知症

と診断された。(現在72歳)



娘の恩蔵さんは、この7年間

母が母ではなくなるのではな

いか』と、怯えてきたという。

母の中に残っている、母らしい

感情を、探し続けてきたという。



(恩蔵さんの日記から)

私は脳科学者として、人の感情と脳の

の関係について研究してきた。

だから、通常の介護とは違う向き合い

方になった。


「(認知症が)理解不可能な像ではなく、

理解可能な像になる。そういう意味では

(脳科学者には)たくさんの救いがありま

した。」

認知症には、根本的な治療薬はない。

進行自体を抑える事もできない。母の脳

は、記憶が殆ど定着しない状態なって

いく。それでも私には、今の母らしさが

失われているとは思えない。


「重度になっても、知らない母はまだ出

てくる。認知症になろうが何しようが母

は残ってるって思っているからその母

を理解したい。」認知症の母に向き合い

続けてきた7年、それは、私にとって、

母と出会い直す日々でもあった。



2021年5月、70歳の恵子さん。

娘の恩蔵さんが料理をしている

のを見ると、必ず台所にやって

くる。この頃、恵子さんは一人

では料理はできなくなっていた。


「ママ、トマト切ってみる?」

「トマト、切るよ。」

「すごいじゃん、ママ。」

「そうでしたねぇー…」


何を作っているか、途中で忘れ

てしまう恵子さんは、ひとつの

料理を作りきる事はできない。

それでも、長年続けてきた、

『包丁で切る』という動作は、

『体で覚えた記憶』だ。


恩蔵さんが、恵子さんの異変に

気づいたのは8年前。当たり前に

できていた料理を、やらなくな

ったという。嫌がっていた恵子

さんを病院へ連れて行くと、

『認知症』と診断された。

65歳の時だった。


認知症は、50代~60代で発症す

ると症状の進行が早い傾向があ

るといわれている。


「母が母でいられる時間は残り

少ないのではないか…」

恩蔵さんは、恐れを抱いていた

という。

「私のことを忘れたら、それは

母なの?って。なんか、それは

違うじゃん、っていうか…

今までそれは、人が変わった

ってことじゃん、っていうふう

に、理解可能じゃない姿のもの

に、母がなってしまう、って事

だったら、困っちゃう、って事

だった。繋がりようがないイメ

ージ。」


料理が得意だった恵子さん。

口癖は、『何でもやってあげる

よ』毎日違うメニューが並ぶ食

卓。家族はいつも楽しみにして

いたそうだ。


恩蔵さんは、介護を始めて間も

ない頃から、母親の姿を日記に

記録してきたそうだ。



(恩蔵さんの日記から)

中指が腫れてしまい箸もペンも持てな

くなった時「ママがやってあげるか

座っていなさい。」その翌朝も「大丈

夫?」と。全然忘れていない。何でも

やってあげるんだと気力に満ちて、

気の母では全然なかった。ママのお誕

生日が丁度  学会の日で。「あら、じゃ

上手くいくわよ。」と明るく励まし

祈りの言葉を返してくれたのが、本当

に嬉しかった。

どうか、このまま、神様…



そして、恵子さんの症状は少し

ずつ進行していった。

恵子さんが『認知症』と診断を受け、恩蔵さんは、「意外とすっき

りした」という。



(恩蔵さんの日記から)

それまで、母は認知症じゃないという

証拠を探してきた認知症は根本的な

治療薬はなく、進行性の病気だという

事はよくわかる。これからは、

生活の中に楽しを見つけていくし

かない。認知症の母を介護してみて、

母と出会直すことができたたとえ、

母が記を失っても、母らしい感情は

残るではないか



(恩蔵さんの著者から)

今までできた事ができず、認知能力の

衰えによって一部母らしさが失われる

のは疑いなく事実である。しかし、認

知能力が衰えても、残っている母らし

があるならば、それは一体、何なの

か?母の感情を拾って、母をもっと深

く理解する事ができたら良い。




恩蔵さんは、恵子さんが大好き

だった音楽を使った取り組みを

始めた。

音楽療法士が自宅を訪問し、 

ピアノの伴奏に合わせて恵子

さんは、少しずつ一緒に歌う事

ができた。


恵子さんの小脳の画像では、

比較的状態が保たれていた。

小脳は、音楽などで重要な役割

を果たす部分と言われている。



(恩蔵さんの日記から)

母は、眉毛を寄せて、本当に気持ちを

込めて歌っていた。こんな芸術の表現

ができる事は、介護認定調査項目の

チェックリストには全く入っていない。

(この様な、母が持つ表現 の可能性は)

誰にも認められずに、埋まっていた。



「お誕生日おめでとう!」

この日は、恵子さんの71回目の

誕生日。恩蔵さんは、母親に喜

んでもらいたいと、花束を用意

していた。


「ママに生け花を任せようと思

うの。

どう生けても自由だよ。」


そう話す恩蔵さんの言葉に恵子

さんは、

「すごいじゃん。」

「(私は)もうダメだね… 

ダメだよ。」と言う。


「ハッピー・バースデー 恵子」

恩蔵さんが誕生日ケーキを恵子

さんに見せる。


「誕生日おめでとう!」

「 そうだね。」


そのあと、夫の實さんが話しか

けた。


「ママ、今日の花、どう?」

すると恵子さんは、

「わからない。バカだから。」


えっ?…何それ?と恩蔵さん。


「いいの。 いいの。」と、

恵子さん。表情が強ばっている。




この頃から恵子さんは、ひとつ

一つの動作に時間がかかるよう

になった。

就寝時、「布団に寝よう。ここ

に足入れて…ね?」

「なんだか、わからないよ…」


布団に横になるまで、20分位

かかることもあるという。


「もう…早く逝かないとね。

バカだから。」


恵子さんは、何かを求められて

できなかった時、ネガティブな

言葉を口にするようになった。



脳科学者でもある娘の恩蔵さん

は、恵子さんの脳をより詳しく

分析するために、東北大学の研

究室を訪ねた。分析を依頼した

のは、瀧 靖之教授。


脳の画像を分析した結果、

集中力・判断力に関わる

『背外側前頭前野』

更に、罪悪感や、後悔などの感

情に関わる

『前頭眼窩野』

が、比較的保たれていた。


瀧  靖之 教授は、  

「私達が考えている以上に幾つ

かの高次認知機能というのは、

質問紙とか検査ではわからなく

ても、案外保たれている所があ

るのかなとは思いますよね。」

このようお話しされていた。



恵子さんが口にするようになっ

ネガティブな言葉、逆にそれ

は、『恵子さんらしさ』の表れ

だったんだと恩蔵さんは気づい

たという。


(恩蔵さんの日記から)

バカだから』というような言葉は、

結局、母が母自身に思っている感情

なのかも知れない…気づいた。

人が自分に何かを求めている、家族が

自分に何かを期待している。でも…

応えられない。

『わからないんだよ、バカだから。』

母は少なくとも、自分の状態を恥ずか

しい と思っている。それは『一生懸命

生きたい』という気持ちの、裏返し

のではないかな。



脳科学者の恩蔵さんが認知症の

母と向き合い続けて7年、以外

な発見の日々でもあったという。

ケアマネジャーとの何気ない

雑談から、実は恵子さんが多く

の事を記憶している事がわかっ

たそうで…


「何が好きなんでしたっけ?

甘い物?」

「なんだっけね。」


答える事ができない恵子さん。

傍らでは、笑顔で見守る恩蔵

さん。


「お芋の料理は何が好きでしたっけ?」

「わかんないね。」

「肉じゃが?」

「それはいい。」

「大学芋?好き?」

「うん。」


具体的に問いかけられると意思

を示す事ができた恵子さん。

これを脳科学では『再認』

と呼ばれているそうだ。

認知機能が低下しても、

Yesか、Noで答えられる質問

すれば、意思が確かめられる事

があるという。


「ママが作ってきた芋料理と

いえば…  あっ、そうだ、里芋!

里芋だね?」

「里芋だよ。一生懸命やった

んだよ、私。」と恵子さん。


「ママ、お正月はさあ、もう

本当に、3日間困らないように、

お雑煮の里芋やってくれた

ね。」

「すごいねえ…」と恵子さん。


恵子さんの脳に残された多くの

機能。それでも日常生活では少

しずつできない事が増えていっ

たという。


「あまり、台所に来てくれる事

がなくなってしまいました。

来てくれていた事が、有難い事

だったんだなぁ…と感じたり…」


恵子さんは、少しずつ自分で

食事を摂る事も難しくなって

きた。


料理ができなくなった母。

名前が言えなくなった母。

台所に来なくなった母。


恵子さんの介護を続ける中で、

恩蔵さんには様々な母の記憶が

蘇るようになっていた。


「家族よりも早く起きて、階段

を掃除していたし、とにかく止

まっている事がない人だったなぁ…」

恵子さんは、自分の事よりも家

族の事を優先する母親だったと

いう。

人の頼んだ事に、嫌だという事

はまずない。大学院卒業後、海

外留学、自分の好きな研究に没

頭してきた、脳科学者の恩蔵さ

ん。恵子さんが認知症になって、

初めて母親の人生について考え

るようになったという。


「異変が起きたことで、私は母

の事、何にも知らなかった、と

気づいたんです。あんなに世話

になったのに、能力だけで判断

して、母が死んじゃったりした

ら、母も救われないし、母にや

ってもらうばっかりで、母の為

に1個もできなかった、って…」



父親の實さんは、恩蔵さんに或

るものを手渡した

『お料理ノート』 

恵子さんが書きためていたもの

だ。400以上のレシピが記され

た恵子さんのノート。毎日、家

族のために違う料理を作ってい

た恵子さんが大切にしていた物

だった。

「あ、茶碗蒸し!好きだった…」

味を引き継ぎたいと、やってみ

たけれど、うまくできなかった

そうだ。


≪ 茶碗蒸し   4人前≫

鶏肉・カマボコ・三つ葉

出し汁が煮え立ったら、塩、

しょう油、調味料、肉、椎茸を煮る、冷めたスープをお茶碗に入れ

かき回す。中火で15分位蒸す。


恵子さんの茶碗蒸しは、具だく

さん。だしが効いていて、家族

みんなが大好きだったそうだ。


「これが知りたかったんだよ、

ママ…」恩蔵さんは、涙ぐみ、

声を詰まらせ乍ら、ページを

めくる。

「忙しかったろうに…こんな…

できないね、これは。

“ 牛肉と野菜の炒め方 ” 

“ 揚げ物のコツ ” 

“ カステラ ”

カ、カステラ?カステラまで作

ろうとしてる!・・・

買うだろ、普通… 

あっ!ニンジンケーキ!

覚えてる!好きだったぁ…」

涙声で、ページをめくる

恩蔵さん。


「これ見たら、母って、こうい

う人だったんだね…って感動

する。できなくない?こんな

の… どういう子育てしてたんで

すか?って… すごいなぁ…って

思います。」


認知症になると、少しずつ脳の

機能が失われていく。恩蔵さん

もその重い現実を突き付けられ

てきた。けれど、それでも、

『その人らしさは残り続ける』

と強く思うようになってきたと

いう。



ある日、恵子さんの散歩につい

ていった時の事。そこは、昔か

ら、恩蔵さんと歩いた道。


「あとでやってあげるよ」

「やってくれるの?」

「そうだよ。やってあげる

よ。」


そう言って向かったのは、野菜

の直売所。再び立ち止まった所

も野菜の直売所だ。

「ママ、いつもここで、お野菜

買ったりしてたよね?」



脳科学者として、娘として、

認知症の母と過ごす日々。

それは、これまで築けなかった

母と出会い直す時間

『何でもやってあげるよ』

そう言って台所に立っていた

母。



この日、恩蔵さんは恵子さんの

レシピを見て、あの茶碗蒸し

作ることにした。



(恩蔵さんの日記から)

そういえば、小さい頃の私は、台所で

いつも母親の顔を見上げていた。


母に残っている感情とは、何なのか。

激しい程の、何かやりた、という

気持ち。人の役に、どうしても立ち

たいという気持ちである。


今、私は、母がじっと私を見つめて

いる事すら、料理を作りたいという

気持ちの表れなのだと感じている。

母は、そうして今も、私と一緒に料理

を作っていると、言えるのではないか

と。

脳に萎縮が広がって食べるのが難しい

程なっても、母は、私が困っている時

に台所に来てくれた。

母は、一生懸命な人である。

他人の役に立ちたいとずっと心を動か

してくれる人である。

完璧だった母から、認知症にな

った母まで、すべてを見届けて、

『母らしさ』と呼びたい。




母が私との思い出をどれだけ覚

えているのかはわからない。

でも、私はもう、気づいている。

この表情は、子どもの頃、私を

見つめていた母の表情だ。名前

を呼ばれなくなったからといっ

て、私の事がわかっていないか

っていうと、そうじゃないな、 

っていうのを今、私は、はっき

り感じている。



「ずっと人生の中で母が持ち続

けている感情っていうのがある

んですよね。その人らしさは能

力ではなくて、感情にあると思

うようになったんです。」




「何ができなくなっても、

いいよ。もう知ってるよ。

あなたのことは。」

って思ってる。

そう、母は、いつまでも、

母だ。



番組を拝見して、私は

娘さんの言葉に

涙が溢れてしまいました。


介護職の私達は、認知症の方と

一緒に過ごす中で、


理解しているつもりでも

できていないところ

たくさんあるかも…


認知症だからといって、

認知症の方全員が同じ症状とは

限らないですし


できなくなった事よりも

できる事を数えていきたい…


その人らしさを見つけて

その人らしい暮らしを

共にしていきたいな…と


そう感じました。



最後までお読み頂き、

ありがとうございました。





寒くなりそう…((((;゜Д゜))))



いつもご訪問、
いいね、コメント
ありがとうございます🙇