(少し、長い記事です)


岡山県出身の医師

今川  竜二さん、36歳


今川さんは、生まれつき耳が

聞こえない。

「可哀想… と思ったけど

悲しんでいるだけでは

いけない。」


言葉を覚えるために、

母親と始めた絵日記。


「一日の生活を絵に描いて、

言葉を言えたら 印を付け

一緒に話す事で、口の動きを

習得。一つずつ、言葉の獲得を

していきました。」

そう話すのは、今川さんの母。


「言葉で表現できない

もどかしさがありました。

こんな時は、こういう言葉を

使うとか、母は、適切に

サポートしてくれたから、

自分の思いを表現できるように

なりました。」


聴覚障害者であり、

医師となるまでの様々な経験を

『音のない世界について』

と題して、

地元の医療関係者の方々へ

お話しをする機会があった

そうで…


「ここに至るまで、様々な

出会いがありました。中学3年

の進路についての話し合いで、

将来の夢は何か?と聞かれ、

医者になりたい!と

答えたんですよ。

それを聞いた担任の先生が、

目が見えない、耳が聞こえない

口が聞けない者は、

医師になれない、という

『医師法』を、翌日見せて

くれたんです。」


その後、2001年、医師法は

改正され、今川さんは、医師を

目指す事ができたという。


「 医学部卒業後、2年間の研修

は、人とのコミュニケーション

がとても難しかったです。」



研修修了後、今川さんは、

晴れて医師としての道を

スタートしたものの、自分は

臨床現場には合わないのでは

と感じたという。

「一度、方向転換しようと…」

医学書専門の出版社に就職。

絵を見てわかるよう、内容や、

イラストを考えたという。

「特に頑張ったのは、

《先天性心疾患》です。」


『病気がみえる循環器』


取材中、

「これは、看護学校では

有名なバイブルでした。」

と話す、看護師。



「自分が負けてしまった…

挫折だったのかな。戦う事が

多すぎてどう対処して良いか

頭が回らなくて、精神的にも

かなり追い詰められていたと

思います。」


医学書出版の世界で生きる事を

決断したものの、

長続きはしなかったそうで…


「やっぱり、自分は人と接する

方がいい… という気持ちが

だんだん強くなりました。

コミュニケーションは

大変だけど、それ以上に

人と接する事で、頂けるものが

たくさんあると、感じるように

なったんです。」



その後、医師として

再出発した病院は、常勤医が

400人の大病院。


「とにかく大きな病院。

医師、看護師以外にも

様々な分野のスタッフとの

コミュニケーションが必要

でした。最初の一歩を踏み出す

には、かなりしんどいな、と。


暫くして、外来より、毎日顔を

合わせる入院患者の担当へ移動

してはどうか…と言われました。

それはきっと、私にできる事が

なかなか、無かったから…と

思いました。


もっと役に立てる場所、

医師不足に悩む病院を探し、

2017年10月、尾鷲総合病院で

働く事になりました。」


尾鷲総合病院は、

医師の7割が、非常勤。

他に治療する医師がいない為

すべて自分でしないといけない

と。不安があっても、

やらなければいけない事が、

自分をやる気にさせるという。



「体に障害があると、人に甘え

る事を躊躇する事があります。

迷惑じゃないかな… と思って

しまうからです。でも、 人の懐

に飛び込む事も、大事な事だと

私は感じています。」


尾鷲総合病院 で働き、3年。

その間に嬉しい事もあった

そうで…


「私の患者さんが、現在の

自分の状態をスマホに細かく

書き込んできてくれました。

患者さんの方から

コミュニケーションを取って

もらった事は初めてでしたし、

嬉しかったです。

ひとり一人に合った方法で、

お互い歩み寄ると、もっと

よい世界になれると思います。」



その後、コロナ禍により

今川医師と患者さんとの

コミュニケーションには

筆談が増え、聴覚障害者の方々

とのコミュニケーション方法は

益々、困難になってしまった

そうです。


そして、今川医師は、

次のようにお話しされました。


「不安いっぱいで辿り着いた

尾鷲総合病院。その中で、

多くのスタッフが、耳の聞こえ

ない私に、一生懸命思いを伝え

ようとしてくれました。

手話を一から覚えてくれた

看護師もいます。

お互いが寄り添えば、

きっと上手くいく…

心からそう思っています。」



チューリップピンク今川医師のように、聴覚障害のある

医師は、全国に11人。

(聴覚障害をもつ医療従事者の会 調べ)



誰もが不自由を感じている

中で、みんなで できる事を

一緒に考えていけば

前に進む事はできる、と。


 

《境遇を選ぶ事はできない

けれど、生き方を選ぶ事は

できる》



今川医師のこの言葉は、

強く心に響きました。



終始、笑顔でお話しをされて

いた、今川医師。


『音のない世界』で目指した

医師への道


計り知れない苦労と、

想像を超えるご本人の努力が

実を結んだのですね。


今川医師、

きっと今日も

多くの患者さんに、寄り添う

治療をされている事でしょう…







風か強かったー💧(>_<)

ダメ…  止まらない!… (≧∇≦)