子どものいない人生を
強く意識した時のお話です。
2回目は、
子宮外妊娠をした42歳の時です。
不妊治療に取り組んで、
生まれて初めての陽性反応。
私は完全に頭の中がお花畑でした。
でも、そのお花畑は、
1週間ほどで景色が一変しました。
陽性反応後、
初めてクリニックに出向いた時のこと。
私は、子宮外妊娠の中でも、
症例が少ない頸管妊娠の
可能性を指摘されました。
医師
「本当は、
この辺りに(胎嚢?)あるはずなんだけど、
この下の方にあって…」
私
「じゃあ、
下から押し返すことは
できませんか?」
と、
まだまだことの重大さを理解しておらず、
妊娠を継続させる方法を
これから考えていくのかな?などと
思っていました。
紹介していただいた
大きな病院に移りました。
医師より、
妊娠継続はできないこと。
頸管には、血流の多い血管が側にあるため、
掻爬はできない。
治療としては、
・子宮全摘
→母体の安全を守るためにはこれが最適。
・放射線治療
→出産経験ないなら、さすがに全摘は気の毒。
血管に放射線をながして…云々。
のいずれか。
あとは、流産、と言われました。
子宮全摘はもちろん、
放射線治療だって、
いつ不妊治療再開できる?
というか、
不妊治療できる?
どっちの治療を選択しても、
もう子どもは無理なんだと、
少しずつ理解できるようになりました。
今後を考えると、やっとの妊娠なのに、
流産を望むという混沌とした状況に
心は全くついていけませんでした。
結局、
治療方針が決まる前に
自然流産しました。
結果的には、
不妊治療も再開でき(42歳の夏)
子どもを授かれた(流流産の7ヶ月後。
42歳の秋)ので、
頸管妊娠の中では
ラッキーな結末だったかもしれません。
子宮を有していること。
子宮が機能していること。
子宮を含めて、
カラダに妊娠よりも
治療を優先すべき疾患がないこと。
これらのことは
当たり前のことではないということを
痛感した私は、
不妊治療に取り組めるだけの
健康なカラダに産んでもらったことに
改めて感謝するようになりました。